プラトン『ポリティコス(政治家)』メモ

プラトン『ソピステス』(プラトン全集 (岩波) 第3巻)を読んだときのメモ。

『ポリティコス』は,前回の『ソピステス』の続きという設定 (もっといえば『テアイテトス』の翌日) で,エレアからの客人が,今度は「若いソクラテス」 (有名なソクラテスとは別人) と「政治家とは何か」を明らかにしていく対話篇です。

とりあえず今回も読書したときのメモ (本文から書き写したもの) からですが,今回は特に話の本筋とは関係ない部分が多いです。話の前半は,政治家とは何かを二分探索のような形で,分類により追い込んでいく話が延々と続くのですが (これは『ソピステス』でも共通していました),その部分はあまり面白くなかったようでメモが残っていません。但し,私としてはただ読み物として読んだわけですが,研究者の視点で見るのであればそういう部分も決しておろそかにはできないでしょうから念のため付記しておきます。

「すると,われわれは,そういう見地にでも立とうものなら,その結果として,いろいろな技術自体はもちろんのこと,それらの技術が作り出す種々の作品をも,完全に破壊してしまうにいたるだろう。…こういういろいろな技術の全部は,各種の作業をするにあたって,適正な限度以上のことをおこなうことも,またそれ以下のことをおこなうことも,これを自分に無関係なこととは考えず,逆にこれをまことに有害なことと考えながら,自分の管轄する作業を厳重に監視していると言えるようだ。そして,いかなる技術にせよ,それが仕上げている作品のうちの優秀で美事だと見なされうるすべてのものは,まさにこのような考えかたをとりながら,技術が適度というものを厳守して作るものだけなのだ。」(284A のエレアからの客人)

「つまり,種々の政体の当否について判定をくだすための規準となる標識としては,…ただ,支配者がしかるべき知識を持っているか否かという点だけを,われわれは選ぶようにしなければならないのだ。」(292C のエレアからの客人)

(註:「種々の政体」は,僭主制,君主制,民主制など本編で語られるもの。「哲学者による政治」(『国家』などで語られる)は別格として含まれていないと思う。)

「いやしくも王者の持つべき知識をそなえている者であれば,この者がたまたま支配権を握っているにせよ,あるいは握っていないにせよ,まったくそれにはかかわりなく,「王者にふさわしい人」と呼ばれるのが当然なのですから。」(292E の若いソクラテス)

「大切なのは,これらの人々がどのような権力行使をおこなう場合でも,技術にもとづいてその権力を行使する支配者であるのだ,という点を承認すべきであるということなのだ。」(293A のエレアからの客人)

「したがって,「技術を用いて,かつ,被支配者の利益 (善) となるようにと思いはからいながら,被支配者を支配すること,―これが支配術である」との定義が得られる。」(293C の訳者註)

「支配者たちが知識を活用し正義を心がけつつ,国家の健全を維持するための活動者として国家に見られる欠陥を改善する仕事に全力をつくしているかぎり,ひとえにそのかぎりにおいてのみ,つまり,なによりも肝要なその点を根本原則として守っているかぎり,当の政体をわれわれとしては唯一の政体であると宣言しなければならない。」(293D のエレアからの客人)

「ところが法律というやつは,見たところどうも,この単純不変な公式を示すことだけに没頭しているようなのだ。だから考えてみれば,法律はどこかの強情で愚鈍な人間にそっくりなのだ。」(294B のエレアからの客人)

「言いかえれば,技術の力のほうが法律よりも優ることを実地にみせつけてくれるような人々の手によってはじめて正当な政体というものは作られうるのではないだろうか。」(297A のエレアからの客人)

「「国家の構成者のうちのいかなるものも,法律に違反することをなにひとつ,不遜にもおこなうようなことがあってはならぬ。そしてそのようなことを不遜にもおこなう者は,死刑をはじめとするあらゆる極刑によって処罰されるべし」という法規なのだ。じじつ,この法規こそが,いましがた説明したあの第一の最高原則をわれわれが離れて次善の原則を選ぶことにするばあい,この範囲ではもっとも正当でもっともうるわしい状態にあるものなのだ。」(297E のエレアからの客人)

(註:「第一の最高原則」というのは,少し前にも書いた「哲学者による政治」のこと。)

「だからして,この民主政体というものは,いまここで問題にされているすべての政体が法律遵守的であるばあいには,それら全部のうちでもっとも劣悪な政体なのだ。ところが,これら全部の政体が法律軽視的である場合には,そのうちでは民主政体がもっとも優秀であるのだ。」(303A のエレアからの客人)

(註:「いまここで問題にされているすべての政体」とは,支配者が1人の場合,少数の場合,多数の場合 (=民主制),またそれぞれについて法律遵守的,法律軽視的,の6通りが考えられている。)

「政府最高諸部門(つまり特殊的専門職の最高権者)の,王者による全般包括的支配統括という概念の確立こそ,政治理念一般のもっとも重要な真理の永久不可侵な一部分の発見なのであって…。」(解説 p.454)

メモは以上。
ところで解説や,「プラトンの弁明」という別に読んだ随筆 (論文) 集によると,プラトンの政治に関する著書は『国家』,『ポリティコス(政治家)』,『法律』 (年代順) が代表作とのことです。また,『国家』では「哲人政治」の提案だったのが,『法律』では法律による統治が事実上ベスト,と内容が変わってきており,『ポリティコス(政治家)』は年代的にも内容的にもまあ真ん中であるということらしい。
確かに話の流れとしては,「法律は最大公約数的なものであり,最上の国家を作るためには法律を超越した英雄が必要」というようなことが言われるのですが結局,(この間の話 (論理) はあまり覚えていないのですが) 「法律による支配が現実的にはベスト」と書かれていたように思います。この辺りはプラトンの生涯にも関係しているらしくそっち方面では面白いかもしれません。
現代でも,(きわめて基本的な事柄だと思いますが) 世の中の変化に対して法律という「網」が固定されており,それをすり抜けるものに対してどう対処すべきか,というのを考えると難しい問題だなと思います。法律というのはそれを議会で諮り,成立して発効して初めて効果が上がるようになるわけですが,どうしても時間がかかるため,そのかかる時間が世の中の変化する時間よりと長いと法律は付いていけないことになります。それに世の中の変化を正しく観測することも必要だし時間がかかります。かといってだから「法律なんて要らない」では非現実的だし代わりの案も難しいでしょう。

その視点でいえば,プラトンの書いているのは,法律を「離散」,理想の政体を「連続」ということであり,理想の政体というのは「微分可能なもの」である,といえるかもしれません。世の中の変化を瞬時に捉え,的確に対応する,というのは「微分」のようなものです。
ただ,現実には微分するすべがないため,代わりに,時間はかかるが法律で近似するのが次善,ということになるでしょうか。
…とこれは全くの妄言でした。(実は次の『パルメニデス』で,「これは微分のことを言っているのか」という箇所があったのでその影響かもしれません。)

プラトンは,前回取り上げた『ソピステス』,今回の『ポリティコス(政治家)』とともに,『哲学者』というものを含めた三部作にするつもりだったのではないか,と言われています (僕もそうにちがいないと2篇の話の流れから思います)。しかし結局『哲学者』という対話篇はありません。これは読み物としても非常に読んでみたかったですね。

『法律』も関連して読んでみたいですが,プラトン全集では『法律』は13巻なのできっと1年後じゃ済まないでしょう…。

次回は『パルメニデス』の予定。

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