プラトン『パルメニデス』メモ

プラトン『パルメニデス』((プラトン全集 (岩波) 第4巻) を読んだときのメモ。

「およそあるものの形相となるものの存在を許すまいとし,それぞれ一つのものについて何か形相となるものをはっきり決めようとしないとしたら,自分の考えをどっちに向けたらいいのかさえもわからなくなるだろう。イデアが存在のそれぞれについて恒常的に同一性を保って存在していることを認めまいとするからにはね。」 (135B のパルメニデス)

「なるほどたしかに,きみが論理的究明にむかって突進して行く,その突進の意気込みはりっぱだ。いいかね,それは神々しいところさえある。しかしきみは, そういうきみ自身を引きもどさねばならんのだ。そしてもっと練習をつむことだ,役に立ちそうもないと思われ,世人が空理空論と呼んでいるようなものの中を 通り抜けて行く練習をするのだ。まだきみが若いうちにね。さもなければ,きみは真理に逃げられてしまうだろう。」(135D のパルメニデス)

「というのは,それら多数の人間は,あらゆる場合を通じて徹底的にたずね歩き,あちこち逸脱彷徨すること,そのことなしには真理にめぐり合って,正覚を得るというようなことは不可能だとは知らないからだ。」 (136E のゼノン)

以上の引用は,ソクラテスに対して言われたことですが,話の主題とは関係なく,ソクラテスが「説教される」場面というのは他の対話篇も通して初めて出てきたように思うので,まず非常に印象的です。
この対話篇『パルメニデス』は,設定としてはソクラテスはかなり若い時期で,確かパルメニデスが60歳,ゼノンが40歳,ソクラテスが20歳といったような設定と推定されると解説に書かれていたと思います (パルメニデスもゼノンも実在した結構有名な人物のようです)。
反面,この著作自体は,プラトン中期~後期に著されたとされており,プラトンによるイデア論の転換期の作品であるとも解説などに書かれています。
正直なところ,私はイデア論などどうでもよいのです (笑)。ただ,プラトンがイデア論を考えるうえでどのように悩んだのか,ということに思いを致すことができればいいなと思う。そういう意味では『パルメニデス』でソクラテスが言われていることは,プラトンの自省の意味もあったのではないか,と思いました。

そもそも,『パルメニデス』は後半の半分以上が,「一」とは何か,ということを延々と対話によって明らかにするという内容なのですが,あまり面白いとは思いませんでした。
(『ソピステス』,『ポリティコス(政治家)』とともに「論理的」と分類されるだけあります…プラトン全集はこの3作を連続で載せているので正直退屈でした。)
なので後半は殆どメモが残っていません。

「<たちまち>(忽然) というものだ。というのは,この<たちまち>は何か次のようなもの,つまりそれから両者いずれへも変化できるかのような,何かそういうものをさし示しているように思われるからだ。というのは,止まっていることからの変化は,ものがまだ止まったままでいるうちは起きないし,動きからの変化も,それがまだ動いているままでは起らないからだ。ところが,この<たちまち>というのは,本来的に何か奇妙な (所在のない) あり方をするものであって,動と静 (止) の中間に座を占めて,しかもいかなる時間の[経過の]うちにもない (時間が少しもかからないような) ものなのである。そして動いているものが静止に変化し,静止しているものが動に変化するのには,まずこの<たちまち>に入り,またこの<たちまち>から出なければならないのだ。」 (156D のパルメニデス)

ただ,これは非常に印象的なパルメニデスの言葉です。ここで言わんとしているのは「極限」または「微分」というようなものでしょう。
プラトンの時代というのは,恐らく学問,いわゆる「~学」というものが殆ど確立されていない時代だったのではないかと思います (というかプラトン自身が「アカデメイア」という大学の元になるものを設立したわけですが)。そこにあってプラトンという人は,本当に何でも思慮・洞察の対象としたのでしょう。そういう時代だからこそ自由に思索を巡らせることができた,という面もあるでしょう。またテオドロスやテアイテトス,エウクレイドスといった数学に名を残したらしい人物もプラトンの対話篇に出てきます。
真理を追求するというただ一点のみにおいて,またその一点があるゆえにあらゆる分野において,プラトンはどんなものとも繋がってくるのだと思います。それがプラトンのいう「哲学者」像 (『ソピステス』,『ポリティコス(政治家)』などでほのめかされていた) の1つだったのではないでしょうか。多分プラトンは,「哲学」という学問を作ろうとか,そういう気持ちは全くなかったのではないかなと勝手に推測します。

延々と「一」について考察する内容は退屈でしたが,プラトンの懐の深さのようなものを考えた対話篇でした。次回は『ピレボス』の予定。

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