プラトン『ゴルギアス』メモ(2)

プラトン『ゴルギアス』(プラトン全集 (岩波) 第9巻) を読んだときのメモの続き。
前半はこちらをご覧ください。当記事は主に後半のカリクレスとの対話の部分の途中までがテーマです。

カリクレスは,強者が弱者を支配する,弱肉強食の論理が正義である,人間は欲望に忠実に生きるべきである,というようなある意味過激な主張を繰り広げます。確かニーチェがこのカリクレスを賞賛していたというのをどこかで見ました (私はニーチェについては全然知りません)。
さすがにこれほど率直な言い分に対して,いつものソクラテスの対話というのがどこまで効果があるのかと心配になるところですが,後で述べますが寧ろソクラテスは,いい対話相手を得たというように,「人生いかに生きるべきか」というような根本的な問題を論じます (但しこの部分のメモは (3) に書きます)。そしてソクラテスの土俵で,一応カリクレスも論破されるという結末になったと思います。ただ結末は (多分他の対話篇もそうだと思いますが) それほど重要ではなく,どんな対話がなされたかというのが重要で,その点で本篇のカリクレスの言ったこと自体が残す印象というのは非常に大きいものだと思います。

個人的には,他人がカリクレス的な考え方だった場合に,それをソクラテス的な考え方にするというのは普通は諦めてしまうと思います。少なくとも現代の価値観で,「善く生きる」ということがどれほどのものなのかは,普遍的なものではないように思います。それでも自分は,そういう生き方をすることが少なくとも自分のためにはなるのではないか,と今は思っています。これとて,今後変わるかもしれません。

ソフトウェア開発の分野で「継続的インテグレーション」というのがありますが,趣味としてですが何かを得るために読む立場の人間としては,プラトンの追求したものを,自分のその時の環境や考えや状態をもとに継続的にインテグレーションしていくことが,生きたものにするためには必要と思っています。

カリクレス「つまり,あなたという人はほんとうに,ソクラテスよ,真理を追求していると称しながら,あのような月並みで,俗受けのすることへ,話をもっていくのだからなあ。あのようなことは,自然の本来 (ピュシス) においては美しいことではなく,ただ法律習慣 (ノモス) の上でだけ,そうであるにすぎないのに。」(482E)

カリクレス「かくて,以上のような理由で,法律習慣の上では,世の大多数の者たちよりも多く持とうと努めるのが,不正なこと,醜いことだと言われているのであり,またそうすることを,人びとは不正行為と呼んでいるのだ。しかし,ぼくの思うに,自然そのものが直接に明らかにしているのは,優秀な者は劣悪な者よりも,また有能な者は無能な者よりも,多く持つのが正しいということである。そして,それがそのとおりであるということは,自然はいたるところでこれを明示しているのだが,つまりそれは,他の動物の場合でもそうだけれども,特にまた人間の場合においても,これを国家と国家の間とか,種族と種族の間とかいう,全体の立場で考えてみるなら,そのとおりなのである。すなわち,正義とは,強者が弱者を支配し,そして弱者よりも多く持つことであるというふうに,すでに結論は出てしまっているのだ。」(483C)

確かに,民主主義で法律を作っていくことというのは,動物と同じような弱肉強食の社会になることを妨げる方向に動くことは間違いないように思います。また,「世の大多数の者たちよりも多く持とうと努めるのが,不正なこと,醜いこと」という観念のようなものは現代でも根強く残っていると思います。しかし,それで実際に強者が弱者によって制されているのか?と言われると,法律上はそうかもしれませんが現実にはあんまりそういう気はしません。

カリクレス「われわれはその法律なるものによって,自分たちのなかの最も優れた者たちの最も力の強い者たちを,ちょうど獅子を飼いならすときのように,子供の時から手もとにひきとって,これを型通りの者につくり上げているのだ。平等に持つべきであり,そしてそれこそが美しいこと,正しいことだというふうに語りきかせながら,呪文を唱えたり,魔法にかけたりして,彼らをすっかり奴隷にしてだね。」(483E)

「獅子を飼いならす」ように,突出した人間を押さえつけるというのは,現代でも割と観念としてあるように思います。寧ろ教育問題のコンテキストで語られやすいかもしれません。

カリクレス「というのは,いいかね,ソクラテス,哲学というものは,たしかに,結構なものだよ,ひとが若い年頃に,ほどよくそれに触れておくぶんにはね。しかし,必要以上にそれにかかずらっていると,人間を破滅させてしまうことになるのだ。」(484C)

現代でも哲学というのは役に立たないものの代名詞的な面もあるように思います(笑)。また,僕は漱石をよく読みますが,『虞美人草』の甲野さんという人物が小説中で「哲学者」と称されていて,確かにある意味破滅的なので思い出しました。勿論カリクレスがどこまでの意味を哲学という語に込めたかはなんともいえませんが,かようにソクラテスを徹底的に否定する役目を,カリクレスはプラトンによって負わされているのが本対話篇です。かつそれへの反動を利用してソクラテスの生き方を語らせるのが本対話篇です。

カリクレス「(なぜなら,)今もし誰かが,あなたをでも,あるいは,そういった連中のなかの他の誰かをでも逮捕して,何も悪いことはしていないのに,しているのだといって,牢獄へ引っぱって行くのだとしてごらん。いいかね,あなたはそのとき,どうしてよいかわからないで,目を白黒させているだろうし,また言うべき言葉も知らないで,ぽかんと口をあけているだけだろうからね。そして,法廷へ出頭したなら,あなたを訴えた告発人が,じつにつまらない,やくざな人間であったとしても,もしその男があなたに死刑を求刑しようと思えば,あなたは死刑になってしまうだろうからね。」(486A)

この部分は,メモ(1)での弁論術に関するゴルギアスとの対話でも出てきた「弁論術とは説得であり,真実とは関係ない」というソクラテスの言葉を逆手にとった感じです。そしてこれに対する回答は,一番最後のほうに明確に出てきます。

ソクラテス「「より強い」と,「より優れている」と,そして「より力がある」とは,同じ意味なのかね,それとも,ちがうのかね。」
カリクレス「いや,いいとも。ぼくのほうで,あなたにはっきり言っておこう。それらは同じ意味なのだ。」
ソクラテス「それでは,どうだろう。多数の者は一人よりも,自然本来においては,より強いのではないかね。そして,まさにその多数の者が,一人に対抗して,法律を制定しているのだが,君もさっき言っていたようにだね。」
カリクレス「それはもちろん,そうだ。」
ソクラテス「そうすると,多数の者の定める法規は,より強い人たちの定める法規だ,ということになるね。」
カリクレス「たしかに。」
ソクラテス「ではまた,より優れた人たちの定める法規でもある,ということになるのではないかね。なぜなら,君の説によると,より強い人たちというのは,より優れた人たちのことであるはずだから。」
カリクレス「そうだ。」
ソクラテス「だとすると,彼ら多数の者の定める法規は,自然本来において,美しいものだということになるのではないかね。とにかく,それはより強い人たちの定めるものなのだから。」(488D)

ずっとカリクレスの演説調の話が続きましたが,ここらでソクラテスが反撃に転じます。いつもの調子です。そして「強い者は美しい」というカリクレスの主張を逆手に取って,法規も美しいと言います。「多数→強い」という仮定があるわけですが。

カリクレス「神々に誓って,そのとおりだもの,まったくの話,あなたはいつだって,靴屋だとか,洗い張り屋だとか,肉屋だとか,そして医者だとかのことばかり話していて,いっこうにやめようとはしないのだ。まるでぼくたちの議論は,その人たちのことを問題にしてでもいるかのようにね。」
ソクラテス「それなら,どんな人たちのことを問題にしているのか,さあ,君のほうで言ってくれたまえ。より強くてより思慮のある者は,いったい,何を余計に持つなら,その余計に持つことが正しいことになるのかね。」(491A)

ここはちょっと面白いところです。多分プラトンの対話篇をいくつか読んだ人は,カリクレスと同じような感想を持つと思います。まあでもそういう職人とかが当時もいたんだなあというのが想像できるので貴重でもあると思います。

カリクレス「つまり,正しく生きようとする者は,自分自身の欲望を抑えるようなことはしないで,欲望はできるだけ大きくなるがままに放置しておくべきだ。そして,できるだけ大きくなっているそれらの欲望に,勇気と思慮をもって,充分に奉仕できる者とならなければならない。そうして,欲望の求めるものがあれば,いつでも,何をもってでも,これの充足をはかるべきである,ということなのだ。しかしながら,このようなことは,世の大衆にはとてもできないことだとぼくは思う。だから,彼ら大衆は,それをひけ目に感じるがゆえに,そうした能力のある人たちを非難するのだが,そうすることで彼らは,自分たちの無能力を蔽い隠そうとするのである。そして,放埓はまさに醜いことであると主張するのだが,ぼくが先ほどの話の中で言っておいたように,こうして彼らは,生まれつきすぐれた素質をもつ人たちを奴隷にしようとするわけなのだ。そしてまた,自分たちは快楽に満足をあたえることができないものだから,それで節制や正義の徳をほめたたえるけれども,それも要するに,自分たちに意気地がないからである。」(491E)

ここの「欲望を抑えず,快楽を満たせ」というところもかなり印象的な部分です。誰しも本能的なものとして,カリクレスの言うようにできればと思う部分があると思います。しかしそれは…と思う部分もあると思います。その後者を引き起こすのが「善」かどうかというのが (対話の流れからいえば先取りしますが) ソクラテスの言うことだと思います。

ソクラテス「ほんとうに憚ることもなしに,カリクレスよ,君は率直に語って,議論を展開するのだね。ほかの人たちなら,心には思っていても,口に出しては言おうとしないようなことを,君はいま,はっきりと述べてくれているのだから。それでは,ぼくは君にお願いしておくけれど,どんなことがあっても,その調子をゆるめないようにしてくれたまえ。ひとはいかに生きるべきかということが,本当に明らかになるためにね。」(492D)

ちょっとソクラテスが本気を出すという感じです。しかし実際,ここまでのカリクレスの率直な表明があってこその本篇のソクラテスです。
このカリクレスという政治家が,実際にここまで過激な人物だったかは定かではないようで,プラトンが自分の中の負の部分をカリクレスに語らせたというような見立てもあるようです (図書館で一部読んだだけですが「プラトンの弁明」という本が『ゴルギアス』を詳細に論じていて,そこで書かれていたと思います)。

ソクラテス「それではまず,こういう点について言ってもらうことにしようか。ひとが疥癬にかかって,かゆくてたまらず,心ゆくまで掻くことができるので,掻きながら一生を送り通すとしたら,それでその人は,幸福に生きることになるのだろうか,どうだね。」
カリクレス「なんて突拍子もないことを言い出す人なんだろうね,あなたは,ソクラテス。何のことはない,あなたはまったくの大道演説家だよ。」(494C)

この部分もちょっと面白いですが,快楽とは何かを考えるときの1つの分かりやすい例だと思います。

ソクラテス「そうすると,ひとが同時にそれから離れたり,また同時にそれを持ったりするような,何かそういうものを,もしわれわれが見つけ出したとすれば,少なくともそれらのものは,明らかに,善と悪とではありえない,ということになるだろう。この点については,ぼくたちの意見は一致しているのかね?それでは,よくよく考えた上で,答えてくれたまえ。」(496C)

これはプラトンがたまに使う論法だと思います。善と悪は,数直線上の + と – で表せるようなものというような意味だと思います。

ソクラテス「われわれ一人一人は,飲むことによって渇きがやむとともに,それと同時にまた,快い気持のほうもやんでしまうのではないかね。」
カリクレス「何のことだか,さっぱりわからないよ。」
ゴルギアス「いやいや,そんな言い方をしてはいけないよ,カリクレス。われわれのためにも答えてあげなさい。それでこの議論も片付くことになるのだから。」
カリクレス「しかし,ソクラテスという人は,いつでもこうなのですよ,ゴルギアス。些細な,ほとんど取るに足らないようなことを問い返しては,人を反駁するのです。」
ゴルギアス「しかし,そんなことは,君には何も関係がないではないかね。いずれにしろ,そういったふうな,ことの大小軽重の評価は,君の役目ではないのだから,カリクレス。さあ,ソクラテスの言うとおりになって,どうであろうと,彼の好きなように反駁させてごらん。」(497B)

ここでゴルギアスが口を挟みますが,いい味を出してます。『プロタゴラス』等でもあったと思いますが,敵役といってもいいようなソクラテスの相手方の人物が,イラつくソクラテスの相手を宥め,真理を追求する姿勢は同じだということを表明するのは非常にいい場面だと思います。現実にこういう人がいたら惚れますね(笑)。

ソクラテス「そうすると,ほかのこともそうなのだが,快いこともまた,善いことのためになすべきであって,快いことのために,善いことをなすべきではないのだ。」
ゴルギアス「たしかに。」
ソクラテス「でははたして,もろもろの快いことのなかから,どのようなのが善いことであり,どのようなのが悪いことであることを選び分けるのは,すべてどの人にでもできることかね。それとも,そうするのには,それぞれの事柄について技術の心得ある人をまたなければならないのか。」
カリクレス「むろん,技術の心得ある人をまたなければならない。」(500A)

先の「掻く」という例に当てはめると,掻くことが身体に善いなら掻く,悪いことなら例え快楽でも掻かない,そしてその善悪を判断するのは医術等の技術だということになるでしょうか。この背景には当然,「弁論術は善悪を判断する技術ではないのに判断させることができるものである」という意味も込められていると思います。

以下はいよいよ「いかに生きるべきか」をソクラテスが語っていく場面ですが,カリクレスとの対話も長くなってしまいましたので,以下は次回 (3) に。

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