プラトン『国家』第一巻メモ(1)

プラトン『国家』((プラトン全集 (岩波) 第11巻) 第一巻を読んだときのメモ第1弾。

まず『国家』はプラトン全集では,全十巻に分かれています。全体として非常に長いので,メモも1巻ずつに分けて残そうかと思います。…と思ったら第一巻が長くなって早速2つに分かれましたが。

何にしても,まずこの『国家』を,趣味として,読み物として読むことができることに感謝したいと思います。ソクラテスや他の人物の言葉を,「哲学」として検証する立場ではなく,自らも対話の一員のように素直に読むことができることを嬉しく思います。この前呟いたのですが,研究者や専攻の学生でもないのにわざわざ『国家』を,というよりプラトン全集をですが,読む人はなかなかいないと思います。きっかけは何であれ,そういう機会に恵まれてよかったです。

さて実は『国家』は文庫で一応以前読んだことがあります (例によってあまり覚えていません(笑))。話の流れとしては,まず個人の正義とは何かを考え,それから国家の正義というものを考えるために理想の国の形をゼロから考えていく,というようなものだったと思います。

それぞれの巻のメモで,大まかな中身は自分なりにまとめていきたいと思っていますが,文庫版の『国家』の最初に,構成・内容が分かりやすくまとめられていたと思います。

さて第一巻ですが,話はソクラテスがペイライエウスからアテナイに帰るところで,ポレマルコスに呼び止められ,ポレマルコスの家に行って対話が始まります。内容は,大まかにいえば以下のような内容です:

  • ケパロスとの老年についての対話
  • ポレマルコスとの正義についての対話
  • トラシュマコスとの正義についての対話

以前読んだときも第一巻はかなり印象的でした。というのはトラシュマコスという人物が,非常に過激な言説でもってソクラテスと対決したからです。『国家』を買って途中で挫折したという人も,第一巻を読んだ人は多いのではないかと思います。正直,第一巻は内容的に独立しているようにも思えます。そして第二巻以降の退屈な展開とはだいぶ違います(笑)。

以下読書時のメモです。ただ,トラシュマコスとの対話は,メモ第2弾に書きます。

「ええ,それはもう,ケパロス」とぼくは言った,「私には,高齢の方々と話をかわすことは歓びなのですよ。なぜなら,そういう方たちは,言ってみれば,やがてはおそらくわれわれも通らなければならない道を先に通られた方々なのですから,その道がどのようなものか,―平坦でない険しい道なのか,それともらくに行ける道なのかということを,うかがっておかなければと思っていますのでね。とくにあなたからは,それがあなたにどのように思われるかを,ぜひうかがっておきたいのです。」(328D)

ここからのケパロスの話は結構印象的です。自分にとっては,理想の高齢者像のように思える部分もあります。まあケパロスが金銭的に裕福だからいえるのかもしれませんが。あとは,本当にケパロスが言ったのか,プラトンの創作なのか,も分かりません。ちょっと明晰すぎるきらいもありますし。

「そして彼らは,何か重大なものが奪い去られてしまったかのように,かつては幸福に生きていたが今は生きてさえいないかのように,なげき悲しむ。なかには,身内の者たちが老人を虐待するといってこぼす者も何人かあって,そうしたことにかこつけては,老年が自分たちにとってどれほど不幸の原因になっていることかと,めんめんと訴えるのだ。しかし,ソクラテス,どうもこの私には,そういう人たちは,ほんとうの原因でないものを原因だと考えているように思えるのだよ。」(329A)

途中までの言葉は,なんか現代でも丸ごと当てはまりそうな言葉です。

「けれども,げんに私はこれまでに,そうでない人々に何人か出あっているのだ。作家のソポクレスもその一人で,私はいつか,彼がある人から質問されているところに居合わせたことがある。
『どうですか,ソポクレス』とその男は言った,『愛欲の楽しみのほうは?あなたはまだ女と交わることができますか?』
ソポクレスは答えた,
『よしたまえ,君。私はそれから逃れ去ったことを,無常の歓びとしているのだ。たとえてみれば,凶暴で猛々しいひとりの暴君の手から,やっと逃れおおせたようなもの』
私はそのとき,このソポクレスの答を名言だと思ったが,いまでもそう思う気持ちにかわりはない。まったくのところ,老年になると,その種の情念から解放されて,平和と自由がたっぷり与えられることになるからね。」(329B)

「それは,ソクラテス,老年ではなくて,人間の性格なのだ。端正で自足することを知る人間でありさえすれば,老年もまた苦になるものではない。が,もしその逆であれば,そういう人間にとっては,ソクラテス,老年であろうが青春であろうが,いずれにしろ,つらいものとなるのだ。」(330D)

僕もソポクレスの答えは名言だと思いますが,それは食欲とか物欲など色んな欲にも同じことがいえると思いますし,後半のケパロスの言葉のように,歳とは関係ないのかなとも思います。いわゆるストア派の考え方にもつながるのかもしれません。

「で,私としては,お金の所有が最大の価値をもつのは,ほかならぬこのことに対してであると考える。ただし,あらゆる人にとってそうだというのではなく,立派できちんとした人間にとっては,ということだがね。つまり,たとえ不本意ながらにせよ誰かを欺いたり嘘を言ったりしないとか,また,神に対してお供えすべきものをしないままで,あるいは人に対して金を借りたままで,びくびくしながらあの世へ去るといったことのないようにすること,このことのために,お金の所有は大いに役立つのである。」(331A)

ソクラテスに「財産を持っていてよかったことは?」と訊かれたケパロスの答えですが,この言葉もかなり感銘を受けました。つまり「不正を犯さないために,お金は役に立つ」と。
僕なども,「金に魂を売るような人生は絶対に送りたくない」ということは常に思っていますが,それは逆説的ですがある程度お金をもっていないといけないのかな,とも思います。それと心のどこかで,大きな財産を手に入れるというのは何か不正 (違法かどうかではなくもっと広い意味) を伴うんじゃないか?という一種偏見に近い思いも心のどこかにあるような気がします。そこで,「不正を犯さないための財産である」,というのは逆転の発想というか。
後で「支配者にみずから進んでなる者はおらず,そのために支配者は報酬を要求する」というソクラテスの説が出てくるのですが,それとも繋がりがありそうな感じです。報酬が足りないから支配者は不正を犯す,という見方もできるのかもしれません。

「さあそれでは」とぼくは言った,「議論の相続人である君よ,教えてくれたまえ。<正義>についての正しい説だと君が主張するのは,シモニデスのどのような言葉なのかね?」
「『それぞれの人に借りているものを返すのが,正しいことだ』というのです」とポレマルコスは答えた,「私としては,これは立派な言葉だと思いますがね。」(331E)

ここからは,ソクラテスとポレマルコスの正義についての対話が暫く続きます。

「そしてほかのあらゆるものについても,正義とは,それぞれのものの使用にあたっては無用,不用にあたっては有用なもの,ということになるわけだね?」
「どうもそういうことになるようです」
「なんだかそうなると,友よ,<正義>とは,あまり大した代物ではないことになるね。不用なものに対してしか有用ではないというのではね。」(333D)

ポレマルコスは,正義とは契約に関して有用なもの,しかもお金に関することで有用なもの,とソクラテスとの対話で述べます。しかしそれは,お金を何かに使うときではなく「お金を使わないで,そのまま置いておかなければならないとき」に,つまり不用なときに有用である,ということになり,それで上記のようなソクラテスの言葉になりました。この辺りはソクラテスははぐらかしモードのような気がします(笑)。

「冗談ではありませんよ!」とポレマルコスは言った,「しかし私にはもう,自分が何を言っていたのか,さっぱりわからなくなってしまいました。ただし一つだけ,いまでも確かだと思うのは,<正義>とは友を利し敵を害することである,ということです」
「その場合,君が<友>と言っているのは,各人に善い人だと思われている者のことだろうか,それとも,たとえそうは思われなくても,実際に善い人間である者のことだろうか?これは<敵>についても同様なのだが,いったいどちらなのかね?」
「それは」と彼は答えた,「人は相手を善い人間だと思う場合に,その人間を友として愛し,悪い人間だと思う場合に,敵として憎むのだと,当然考えられます」(334B)

「してみると,いいかね,ポレマルコス,多くの人たちにとっては,彼らが人間の判断を誤るかぎり,友に対しては害を与え―その相手は実際には悪い人間なのだからね―敵に対しては益をなす―その相手は実際には善い人間なのだからね―のが正義である,ということになるだろう。そして,このようにしてわれわれは,シモニデスの説だと言っていたこととは,ちょうど正反対のことを言う結果になるだろう」(334E)

後でトラシュマコスとの対話でも似た論理があるのですが,「実際に善い」人と「善いと思われる」人のどちらが友で,その友に利するのが正義かと問います。で,後者だとすると,思われるだけで実際には悪い人間を,つまり敵に利するのが正義だということになります。
実感としては,「善悪の判断を誤らないようにしないといけない」,と現実を反省してしまいがちで,それだと不祥事を起こした企業や政治家が「再発防止を徹底します」と言うだけで何も変わらないのと同じなのかもしれません。一方でソクラテスのほうは,そもそも仮説・前提を覆そうとします。

「善い人間だと思われ,しかも実際にそうであるような者が<友>である,としましょう」と彼は答えた。(334E)

「では,はたして正しい人間は,自分が身につけているその<正義>によって,人を不正な者にすることができるだろうか?あるいは,一般的に言って,善き人間は,その善さ (徳) によって,人を悪い人間にすることができるだろうか?」
「いいえ,できません」
「実際に,思うに,冷たくするということは,熱さのはたらきではなくて,その反対のもののはたらきなのだ」(335C)

「したがって,ポレマルコスよ,相手が友であろうが誰であろうが,およそ人を害するということは,正しい人のすることではなくて,その反対の性格の人,すなわち不正な人のすることなのだ」
「まったくあなたの言われるとおりだと思います,ソクラテス」(335D)

ポレマルコスは,全面的にソクラテスに承服します。で結局は,正義は敵に害を与えるということもこのように否定されます。

ちょっと雑ですが,最初から飛ばすと息切れしそうなので…長くなってきたので,続きはメモ第2弾に。

プラトン『国家』第一巻メモ(1)」への2件のフィードバック

    • コメントありがとうございます。
      高校生で『国家』ですか,素晴らしいですね。私は社会人になって趣味でプラトンを読むようになった者ですが,学生時代に読めて羨ましいです。
      日本には専門家による『国家』の解説書も多数ありますが,原著も含めて電子化は殆どされていませんね。ネット経由で簡単に読めるようになってほしいものです。

      返信

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