プラトン『国家』第三巻メモ(3)

プラトン『国家』((プラトン全集 (岩波) 第11巻) 第三巻を読んだときのメモ第3弾。
メモ(2)で終わる予定だったのですが,長くなってしまったので (3) まで伸ばしました。(2) の続きで,どういった人が支配者になるべきか,ということが論じられ,最後にソクラテスが「支配者となるべき人間は,生まれた時に身体に金が埋め込まれている」といったような面白い話をします。
前置きはそこそこにして,以下読書時のメモです。

「よろしい」とぼくは言った,「ではこのつぎには,何をわれわれは規定しなければならないだろうか?それは,こうして育てられたほかならぬその国民たちのうちで,どのような人々が支配者となり,どのような人々が支配される者となるべきか,という点ではないだろうか?」
「ええ,疑いもなく」
「それではまず,支配者となるのは年長の人々であり,支配されるのはより若い人々でなければならぬこと,これは明らかだね」
「明らかです」
「そして,年長者のうちでも最もすぐれた人々が支配すべきことも?」
「それも明らかです」(412B)

今度はどのような人が支配者になるべきか,という話に移ります。
「えっ支配者は年長じゃないといけないの?」とまず思ってしまいます。まあ今まで論じられてきた教育内容を等しく受けてきた支配者候補の中から,という条件付きであれば,ということでしょうけど。

「では何を最も愛するかといえば,それは,そのものにとっても自分にとっても同じ事柄が利益となり,そのものが幸福であれば自分も幸福となり,そうでなければ逆の結果となると考えるようなものだ」
「そのとおりです」と彼は答えた。
「してみると,われわれは一般の守護者たちのなかから,まさにそのような人々を選び出さなければならないことになる。すなわち,われわれが観察してみて, 全生涯にわたり,国家の利益考えることは全力をあげてこれを行なう熱意を示し,そうでないことは金輪際しようとしない気持が見てとれるような者たちをね」 (412D)

この辺りの言葉は後のほうにもつながってくる内容だと思います。つまり「そのものが幸福であれば自分も幸福となり…」というのは,別の言い方をすればそのものの幸福のためには自分自身の幸福を捨てることもある,ということになると思います。という,ここでは必要性だけを述べていますが,後に十分性 (つまり自分の幸福→そのものの幸福) も示されます (第4巻)。

「それでは,ついさっきもぼくが言っていたよ うに,誰と誰が自己の信念の―すなわち,それぞれの場合に,国家にとって最善であると思う事柄を行なわなければならぬという信念の―最もすぐれた守護者で あるかをたずね求めなければならない。そこでわれわれは,彼らを早く子供のころから観察するために,最もそのような考えを忘れてしまいそうな,また欺かれ て考えを変えてしまいそうなさまざまの事柄を,彼らに課さなければならないし,そしてそのなかにあってよく記憶を確保する者,欺かれて考えを変えることの ない者を選び出し,そうでない者は名簿からはずさなければならない。―そうだね?」
「ええ」
「またさらに,さまざまの労苦や苦痛や競争を彼らに課して,そのなかで,そうした同じ観察をしなければならない」(413C)

これは子供に対する一種のストレステストですね。次の一節もさらに内容に踏み込みます。

「そ れからまた」とぼくは言った,「<たぶらかし>という第三の種類のものに対しても試練を彼らに与えて,よく見守らなければならない。ちょうど 若駒を騒々しい物音や叫び声のするところへ連れて行って,恐がりかどうかをしらべるように,この人たちを若いうちに何か恐怖をよぶような状況のなかに連れ て行き,それからこんどは快楽のなかへとおきかえて,金を火のなかで試すよりもはるかにきびしく試しながら,よく観察しなければならないのだ―すべての状 況においてその人が,たぶらかしに対する抵抗力と端然とした品位を示すかどうか,自己自身を守り,自分が学んだ教養 (音楽・文芸) を守るすぐれた守護者として,自分が身につけたよきリズムとよき調和をそれらすべての状況のなかで保持し,かくて自己自身にとっても国家にとっても,最も 有用有為の人物でありうるかどうかを。そしてわれわれは,こうして子供のときにも,青年のときにも,成人してからも,たえず試練を受けながら無傷のまま通 過する者を,国家の支配者として,また守護者として任命し,その人の生前にも,また死後も埋葬の儀式やその他彼を記念する数々のものによる最高の贈物を与 えて,これに名誉を授けなければならない。しかし他方,そうでない者は排除しなければならないのだ。
以上のようなことが,グラウコン,国の支配者・守護者を選択し任命するやり方であると,ぼくには思われる。細かい点に立ち入ることなく,輪郭だけを示すとすればね」(413D)

子供の時だけではなく,成人してもたえず試練を与えるべきと言われます。さっ きの裁判官の例(メモ(2))からすると,この試練を与えること自体が不正と親しむことになって将来の裁判官の資格を失うのではないか,と思わなくもないのですが。それ はともかく,常に自分自身のテストを課されるということ自体は必要なことのようにも思います。でも大人になるとそういう試練を受ける という機会はなかなかありません。会社等に忠誠を尽くしているかということは,常に見られているのかもしれませんが。
あとは,現代でいえば,政治家にこういうストレステストのようなものを課すことも必要なのかもしれません。国家の支配者に当たる人ですし。それが選挙なのではと言われれば,形の上ではそうなのかもしれません…。

「― こうして,君たちこの国にいる者のすべては兄弟どうしなのだが―とわれわれは物語をつづけて,彼らに向かって言うだろう―,しかし神は君たちを形づくるに あたって,君たちのうち支配者として統治する能力のある者には,誕生に際して,金を混ぜ与えたのであって,それゆえにこの者たちは,最も尊重されるべき 人々なのである。またこれを助ける補助者としての能力ある者たちには銀を混ぜ,農夫やその他の職人たちには鉄と銅を混ぜ与えた。
こうして君たちのすべては互いに同族の間柄であるから,君たちは君たち自身に似た資質の子供を生むのが普通ではあろうけれども,しかし時には,金の親から 銀の子供が生まれたり,銀の親から金の子供が生まれたり,その他すべて同様にして,お互いどうしから生まれてくることがあるだろう。
そこで,国を支配する者たちに神が告げた第一の最も重要な命令は,次のことなのである。
―彼らがすぐれた守護者となって他の何にもまして見守らなければならぬもの,他の何よりも注意ぶかく見張らなければならぬのは,これら子供たちのこと,す なわち,子供たちの魂の中にこれらの金属のどれが混ぜ与えられているか,ということである。そして,もし自分自身の子供として銅や鉄の混ぜ与えられた者が 生まれたならば,いささかも不憫に思うことなく,その生まれつきに適した地位を与えて,これを職人や農夫たちから,金あるいは銀の混ぜ与えられた子供が生 まれたならば,これを尊重して昇進させ,それぞれを守護者と補助者の地位につけなければならぬ。そのようにすることこそ,『鉄や銅の人間が一国の守護者と なるときその国は滅びる』という信託を守るゆえんなのだ,と。
―さあ,こういう物語なのだが,これを何とか彼らに信じてもらうためのてだてを,君は知っているかね?」(415A)

これは,身分にとらわれずに実際の資質で評価すべしという割と進んだ考え方のように思えます。尤も,生まれた時に金や銀が身体に埋め込まれているということは,資質は生まれた時点で決まっているもので教育や努力では変えられないという解釈をすべきなのかもしれません (でもそうだとしたら今までの内容があまり意味がないので,僕はそうは思いませんでした)。ソクラテスはかなりためらいながらこの作り話?をしているところからすると,当時の常識ではあまり考えられなかったことなのかもしれません。
で も考えてみれば当たり前というか,これまでソクラテスが話してきた支配者の条件に,その人の親がどんな身分であるかといったことが介在する余地はありませ ん。と同時に,親が優れた人物であれば子に優れた教育を施して,結果として子が優れた人物になる,という傾向も当然あると思います。この辺りは『プロタゴラス』等別の対話篇でも論じられてきたところですが,そういうこともひっくるめてそれでも子の資質を見極めるのが親の責務ということでしょうか。
ということでソクラテスとしては当然なのでしょうが,他方で現代でも,そんなに素質がなさそうなのに親が政治家とか社長だからと,子にも同じ道を歩ませる例は結構あると思います。善い悪いは別にして,そうしたいのが親心として当然なのは,当時も今も同じなのでしょう。

「ではひとつ,見てくれたまえ」とぼくは言った,「そのような人間であるべきだとすれば,彼らは何か次のような仕方で生活し居住しなければならないのではないだろうか。
まず第一に,彼らのうちの誰も,万やむをえないものをのぞいて,私有財産というものをいっさい所有してはならないこと。
つぎに,入りたいと思う者が誰でも入って行けないような住居や宝蔵は,いっさい持ってはならないこと。
暮しの糧は,節度ある勇敢な戦士が必要とするだけの分量を取り決めておいて,他の国民から守護の任務への報酬として,ちょうど一年間の暮しに過不足のない分だけを受け取るべきこと。
ちょうど戦地の兵士たちのように,共同食事に通って共同生活をすること。
金や銀については,彼らに次のように告げなければならない。―彼らはその魂の中に,神々から与えられた神的な金銀をつねにもっているのであるから,このう え人間世界のそれを何ら必要としないし,それに,神的な金銀の所有をこの世の金銀の所有によって混ぜ汚すのは神意にもとることである。なぜなら,数多くの 不敬虔な罪が,多くの人々の間に流通している貨幣をめぐってなされてきたのであり,これに対して彼らがもっている金銀は,純粋で汚れなきものだからであ る。いや,国民のうちでただ彼らだけは,金や銀を取り扱い触れることを許されないし,また金銀をかくまっている同じ屋根の下に入ることも,それを身に着け ることも,金や銀の器から飲むことも,禁じられなければならない。」(416E)

ここは結構凄いことが述べられ ていると思います。国を守護するものは,私有財産を持っちゃいけないし,住居もなく共同生活をしなくちゃいけないし,金銭による報酬もない…。多くの人が, 「そんな報われない仕事を誰がするの?」と思うのではないかと思います。僕も思いました,それでその人に生きる喜び,幸福というものが訪れるのかと。
これについては,第4章の冒頭でアデイマントスが同様の疑問をソクラテスに投げかけるのでお楽しみに。

「こ のようにしてこそ彼らは,彼ら自身も救われるだろうし,国を救うこともできるであろう。けれども,彼らがみずから私有の土地や,家屋や,貨幣を所有するよ うになるときは,彼らは国の守護者であることをやめて,他の国民たちの敵としての主人となり,かくて憎み憎まれ,謀り謀られながら,全生涯を送ることにな るであろう―外からの敵よりもずっと多くの国内の敵を,ずっとつよく恐れながら。そうなったとき,彼ら自身も他の国民も,すでに滅びの寸前までひた走って いるのだ。」(417A)

ということで,第3章は以上です。第4章は,章は変わりますが第3章の話題の続きから始まります。

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