プラトン『クリティアス』(プラトン全集 (岩波) 第12巻) を読んだときのメモ。
本対話篇は,『ティマイオス』の続きという設定です。ソクラテスに対して,ティマイオスによる宇宙の成り立ちに関する話の次に,クリティアスが 9,000 年前のアテナイと実在した (この「実在した」というのはあくまで対話篇内の文脈の話です) アトランティスに関する話をする,ということが『ティマイオス』篇で言われていました (27A)。あとで触れますが,この後でヘルモクラテスによる話も想定されており,本対話篇と『ヘルモクラテス』篇と合わせた3部作にするつもりだったことがうかがえます。
但し本対話篇は,途中で終わってしまいます。全集の解説では,これはプラトンの死による絶筆ではなく,構想に難があったため,『ヘルモクラテス』含め断念したのだと考察されていました。それは個人的には違和感を感じるところで,途中で投げ出すようなことをプラトンは本当にするのだろうか?とは思いますが,本対話篇より少なくとも『ピレボス』や『法律』の方が後に書かれたと専門家には考えられているようなので,それなら何らかの理由で断念したことになるのでしょう。
副題は「アトランティスの物語」。
以下は読書時のメモです。
ティマイオス「やれやれ,ほっとしたよ,ソクラテス,長い長い旅路を終えて一息ついている旅人のように,いまやっと<言論の旅路>から解放されたのだもの。」(106A)
ティマイオス「だから,これからも神々のご誕生にまつわる物語を正しく話していけますように,「神よ,薬のなかでも最善・最良の妙薬 <知性> をわれらにあたえたまえ」と祈るとしよう。そして祈りがすんだら,さきの申し合わせどおり,つぎの話はクリティアスにゆだねるとしよう。」(106B)
最初の引用のこのティマイオスの言葉で本対話篇が始まります。確かに『ティマイオス』後半のティマイオスの延々と続く話は長くて退屈ではありました。そして次の引用で,『ティマイオス』で言われていた話者の交代の宣言を明確に踏襲します。ここはもう明らかに『ティマイオス』の続きであり,プラトンの対話篇で,ここまで明確に他の対話篇を前提にした対話篇というのは珍しいと思います (尤も後期対話篇は非明示的にはいくつかある気もします)。
クリティアス「つまり,ティマイオス,神々のことを話題に取りあげて,人びとを相手にあれこれしゃべりまくるほうが,死すべきものどものことを取りあげて,われわれを相手にしゃべるより,「もっともな話だ」と思われやすいんだなあ。話の内容について聞き手がまったく無知,無経験の状態にあるというのは,それについてなにか話をしようとする者にとってはまったく好都合なことだし,それにまた,神々に関する自分たちの知識がどの程度のものか,われわれにはよくわかってもいることだしねえ。」(107A)
これは『ティマイオス』のティマイオスの話を読んでいると,実感するところはありました。自分もその部分は全然メモを残さなかったのですが,「もっともな話だ」というよりは,検証不可能で,結果疑問もないんですよね (現代の科学的な視点での疑問は別です。対話としては,という意味)。こういうのは仕事で誰かに説明するときなどでも同じという気がします。
この後も似たような弁解?が数度たとえを変えながら出てきます。クリティアスに言わせてはいますが,プラトン自身が自覚していたことなんだなと思うとちょっと可愛げがあります。
ソクラテス「もちろんですとも,クリティアス,なんでためらいましょう?大きな気持でお話をうかがおうということについてはね。それにまた,わたしどもは第三の語り手ヘルモクラテスにも,同じような寛大な気持でせっしなければなりますまい。」
ソクラテスは,クリティアスの躊躇にも,何の問題もないと励ましますが,同時に「第三の語り手」のヘルモクラテスにも言及します。これは明らかに『ヘルモクラテス』という対話篇が執筆段階で想定されていることを示していると思います。
クリティアス「では,なによりもまず,<ヘラクレスの柱>の彼方に住む人びとと,こちらに住むすべての人びととのあいだに戦がおきたと語り伝えられてから,まる九千年もの歳月がたっているということをお忘れなく。この戦の様子を,これからくわしくお話ししなければなるまい。
さて,話によると,この国 [アテナイ] は一方の側の軍勢の指揮をとり,しまいまで,この戦争を立派に戦いぬいたのだった。これに対して,相手方の軍勢はアトランティス島の王たちの配下にあったという。このアトランティスは,すでにお話ししたように,いまは地震のために海に没し,泥土と化して,これがこの国から彼方の海へと船出する人びとの航路をさまたげ,それいじょうの前進をはばむ障害となっているけれども,かつてはリビュアやアシアよりも大きな島だった。」(108E)
ここでアトランティスという名称が出てきます。ヘラクレスの柱,というのはジブラルタル海峡のことなので(註より),当時のアテナイでは地中海を抜けた先は全く別の未知の世界のようなものだったのでしょうか。地震で海没した,というのは『ティマイオス』で書かれていました。リビュア (アフリカ),アシア (アジア) よりも大きな島,というのは相当なものですね。具体的な島のスケールは後でも述べられます (引用はしていません)。
ここから具体的なアトランティスの描写が始まると思いきや,この後しばらくはアテナイを始めとした国の起りについて語られます。簡単にまとめると,まず神々が大地を地域別に分配しあった→そこの人間を導いた→(アテナイは)ヘパイストスとアテナが自分たちの土地として受け取った→しかしその業績は (大洪水があったこともあり) 途絶えてしまい伝わっていない→先祖の名前は辛うじて伝わっている…というようなことが述べられます。
クリティアス「さて,当時,アテナイにはさまざまな階層の市民たちがいて,それぞれ手仕事に従事したり,大地からの食糧生産に従事したりしながら,それぞれの暮らしをたてていたが,軍人階層のほうは,はじめから神々に縁のある人びとの手で [他の市民から] 分け離され,栄養をとったり教養を深めたりするのに必要なもののすべてを [他の市民から] 手に入れつつ,かれらだけで独自の生活を営んでいた。そして誰ひとりとして,いかなる財も私有することなく,すべてを全員の共有物とみなすとともに,食糧なども適量以上に要求して他の市民から調達するようなことはしなかった。このようにしてかれらは,昨日の会合で話された仕事,つまりわれわれの提案した <国守り> の問題をめぐって述べられたことがらを,あますところなく忠実に実践していたのである。」(110C)
まだアテナイについてですが,ここの内容は,明らかに『国家』第3巻あたりの守護者の私有財産を禁止すべしという部分を踏襲しています。もともと『ティマイオス』がその冒頭の会話から,『国家』の対話の翌日という設定と考えられるので,その内容が色濃く反映されているのは本対話篇も同じで「昨日の会合」というのはまさに『国家』のソクラテス,グラウコン,アデイマントスらとの対話のことでしょう。ただ,その『国家』で語られた理想国家をなぞっていればこそ,ここでの過去のアテナイの描写の真実味が損なわれている,という気もします。
ここから,いかにアテナイの国土が肥沃であったか,ということも入念に語られます。今でもそうだと思いますが,水などの資源や大地の恵みというのは当時としてはもっとクリティカルなことだったのでしょう。
またアクロポリスの説明もなされます。上階を軍人階層,坂の下には職人や農民が住み,軍人階層の人数は約2万人だったことなど。
クリティアス「かれらは,その肉体の美しさと精神のあらゆる面でのすばらしさゆえに,エウロペやアシアのすみずみにまで知れわたり,その当時の人びとのなかでもっとも名のとおった者たちなのであった。」(112E)
クリティアス「ソロンはこの物語を自分の詩作に利用しようと思って,そこに出てくるいろいろな名前の意味を調べているうちに,はじめにこれらの名前を文字に書きとめたあのエジプト人たちが,それらをいちど自分の国のことばになおしてから書いているのに気づいた。そこでソロンは,もういちど [エジプトのことばで書かれた] 名前の一つ一つを,その意味に注目しながら,わが国のことばになおして書きとめた。ぼくの祖父の手もとにあったのはじつはこの記録で,これはいまでもぼくの手もとにあるが,ぼくは子どものころ,これをすっかりおぼえてしまったというわけだ。」(113A)
「異国の者たちがギリシア名で呼ばれているのを聞いても,驚いてはいけません」と前置きして上の言葉が言われます。クリティアスの話というのは,ソロンがエジプトの神官から聞いた内容が元になっているのでした (『ティマイオス』22B~)。それはアトランティスの言葉?→エジプト語に直したもの (エジプトの神官) を,エジプト語→ギリシャ語に直したもの (ソロン) に基づいていると。つまりここでアトランティスの言語の問題が棚上げにされました。
クリティアス「さきほどぼくは神々の国土分配について,「神々は全大地を大小さまざまの地域に分配され,自分のために社と生贄を準備された」とお話ししたが,ポセイドンもまた同じようにしてアトランティス島を受け取りたまい,人間の女に生ませた自分の子どもたちを,この島のつぎのようなところに住まわせたもうた。」(113B)
ついにここからアトランティス島の具体的な描写が始まります。ただ描写については基本的に引用は省略します。
まず島自体の自然環境はポセイドンが整備したとしてその内容が色々言われます。またポセイドンが5組の双子の男の子を生んで,最年長の子の名前をアトラスとしたとか,それで島全体や周辺の海が「アトランティコス…」と呼ばれるようになったとか言われます。ヘラクレスの柱=ジブラルタル海峡の先の海といえばまさに大西洋ですが,その語源がこれだとしたら面白いです (ざっと調べたら,本対話篇より古いヘロドトス『歴史』などにもこの呼称が出てくるようですが)。
クリティアス「このようにかれらが莫大な富を所有し諸施設を完備しえたのは,かれらの支配権のゆえに海外諸国からかれらのもとに多量の物資が寄せられたからであるが,しかし生活に必要な諸物資の大部分をこの島でじかに産出しえたからでもある。なによりもまず,この島では硬・軟両質の地下資源がことごとく採掘された。」(114D)
ということで資源に恵まれていたということが分かりますが,他にも森林も家畜等の動物も香料も果実も,なんでもあったと書かれます。
また,当時は金につぐ貴重な金属である「オレイカルコス」という金属も採れたとあります (114E)。これは,もしや「オリハルコン」でしょうか?なお Perseus Digital Library を見るとギリシア語では ὀρειχάλκου (名詞形 ορείχαλκος ?) のようで,黄銅のことのようですが,勿論アトランティスのそれが今でいう黄銅だったかどうかは分かりませんね。
クリティアス「はじめに,かれらはむかしの中央都市 (メトロポリス) を囲む海水環状帯に橋をかけ,王宮に出入りする道をつくった。それから,はじめはポセイドンとかれらの先祖が居所を定められたちょうどその場所に宮殿を建てたのだが,これは,代々の王が先王からこれを承け継ぐたびに,先王をしのごうと力を尽していろいろな付属施設を整備したので,しまいにはその規模の大きさといい出来ばえのすばらしさといい,驚くほど見事な住まいに仕上げられていったのであった。すなわち…」(115C)
ここから実際に街というか国家の様子が色んな視点から描かれていきます。宮殿,水 (濠,水運),自然条件,徴兵,国家権力など。また全集の解説には,ここの描写を元にアトランティスの地形が図示されていたりします。
引用は全面的に省略していますが,ある意味ではこの部分が本対話篇のメインといえるでしょう。
クリティアス「当時のアトランティスの国々は量質ともにかくもすぐれた力をもっていたのだが,神はその力を一つにまとめられ,こんどは,このわれわれの住むアッティカへお移しになったのである。それは話によると,なにか次のような理由からであった。」(119D)
しかしいきなり,ここで「アッティカへ移った」と言われます。理由の部分は省略しますが簡単にいえば,神性によって保持されていた国の形が,人間が増えて人間的になっていった結果,という感じでしょうか。
ここは『国家』第8巻で,<優秀者支配制>が<名誉支配制>に変化していく過程に対応するのかな?と思った部分です。
ところがなんと本対話篇はこの直後,ゼウスが人々を懲らしめた…と語られている最中に急に終了します。
メモは以上。本対話篇は,現代にも語り継がれるアトランティス伝説の「原典」として,読み物として面白いものだと思います。実際に小説や映画 (やファミコンソフト (笑)) にまでなるほど人々を魅了した伝説の,2,400年ほど前にプラトンによって書かれた原典だと思うとワクワクします。そしてこれを,多少プラトンを読んで来た者なら,自ずから『国家』で描かれた内容と関係があるものとして読んでしまうところだと思います。
プラトンはアトランティスを「何のために」描こうとしたのでしょう。まず互いに戦争した片方として,9,000年前当時のアテナイも描かれましたが,そちらの方が『国家』の理想国を具体化したもののようにも思えます (自分側だし,『ティマイオス』の序盤 (26D辺り) でもそれはうかがえます)。しかし本対話篇の中断直前の「アッティカへ移った」という記述から,中断箇所の後で,アトランティスの国制やら何やらがアテナイ側に輸入されるという構想があったのかもしれません。アテナイを描くのに較べ,シムシティ (シムアース?) のように,全てを一から作れるという自由度がアトランティスにはあったと思います (といっても地理的にもなかなか説得力がある設定ですが)。
さて,プラトンは『ティマイオス』のソクラテスに,「立派な動物が,絵に描かれているとか…どこかでそれを見た人が,その動物の動くところを見たい,何かその体格からとうぜん期待されるものを発揮して競技を競うところを見たいと切望するようになる,といった場合がそれなのでして,わたしもまた,いまわれわれが話した国家に対して,それと同じ感情をいだいているわけです」(19B) と言わせています。その期待を受けて語られるアトランティスが,プラトンの理想国家の表象であることは間違いないと思います。
この対話篇が中断したのは,だからこそ,なのかもしれません。国家に関するプラトンの理想が,実装されて (現存したと描かれて) しまうと,少なくともそれは必要条件を満たしてしまいます。しかし『国家』で国家とともに描かれた「イデア」は,実装を拒絶したものだと思います。仮にプラトンが本対話篇で,理想を実装したものでは満足せずに,理想 (イデア) そのものを描こうとしたのなら,それはどうしても現実の国家として描けないもののはずです。もしかしたら SF の世界なら実現できたのかもと思ったりもします。そして実際,未完だったからこそ後世で時代に合わせた色んな実装が現れた,ともいえるので,プラトンも喜んでいるかもしれませんね。