プラトン『法律』第三巻メモ

プラトン『法律』(プラトン全集 (岩波) 第13巻) 第三巻を読んだときのメモです。

第三巻では,国の成り立ちや国制についての話に入ってきます。そうなると当然『国家』や『ポリティコス(政治家)』が連想されます。それらとは何がどう違うのか,或いは違わないのか。
またギリシアとペルシアの歴史についても語られます。高校の世界史に出てきたような言葉も多く出てきますが,それがこの対話篇当時にも歴史として知られていた,というのはちょっとした感慨があります。

以下,読書時のメモです。
ちなみに第三巻はメモは1ページだけにしたのでかなり長くなりました…。

アテナイからの客人「この問題は,これですんだことにしておきましょう。さて,国制の起源ですが,それはそもそも,どこにあったと言うべきでしょうか。思うに,こういうところから考察すれば,最も容易に,最も見事に,それを考察できるのではないでしょうか。」(676A)

なんだか唐突に国制の起源に話題が移るようです。「こういうところ」というのは,「時間の無限の長さと,そのなかで起こるさまざまの変化」と直後に言われます。

アテナイからの客人「ところが,その期間には,幾万ともかぞえきれないたくさんの国家がつぎつぎ生まれ,またそれと同じ割合で,それに劣らぬ数の国家が滅亡したのではないでしょうか。さらにそれらの国家では,繰り返しいたるところで,ありとあらゆる国制が採用されてきたのではありませんか。それは,ときには小さな国家から大きな国家へ,ときには大きな国家から小さな国家へ,また,すぐれた国家から劣った国家へ,劣った国家からすぐれた国家へと,変化してきたのではありませんか。」
クレイニアス「とうぜんのことです。」
アテナイからの客人「そこでわたしたちは,できれば,そうした変化の原因を把握してみようではありませんか。というのも,おそらくそれが,国制のそもそもの成立と推移を,わたしたちにあきらかにしてくれると思いますから。」(676B)

プラトンが生きていた当時でも,「幾万ともかぞえきれない」国家が過去にあった…これは一種の詠嘆でもあると思いますが,2,400年後である現代でもそんなにスケールが変わっていないような気もします。
国制については『国家』『ポリティコス(政治家)』でも論じられたと思いますが,ここでは帰納的というか,歴史上の国家に対して反映や滅亡の原因を分析して,その「変化」をもとに,すぐれた国家になる条件を得ようとしている,というところが新しいという気がします。こんなところでも,前2篇よりも現実的になったのかな?と思うところではあります。
この後,「大昔に洪水のために生じた滅亡」がテーマになり,国家,国制,立法,徳と悪徳などの記憶も全て失われてしまい,何もないところから,またそれらが生じてきた (長い時間を必要とした) 過程が語られます。ちょっと『国家』第2巻~の流れを連想します。

アテナイからの客人「したがって,内乱も戦いも,その期間は,いろいろな理由から消失していたわけです。」
クレイニアス「どんな理由ですか。」
アテナイからの客人「まず第一に彼等は,荒涼としたところにいたので,お互いにやさしい気持を抱き,親切を示し合っていました。つぎに食糧は,彼らが争って手に入れねばならぬものでもありませんでした。」(678E)

アテナイからの客人「しかし富も貧しさも同居していないような共同体にあっては,おそらくこの上ない高雅な性格が生まれてくるでしょう。なぜなら,驕慢も不正も,羨望も嫉妬も,そこには生じてこないからです。」(679C)

アテナイからの客人「そこでわたしたちは,こんなふうに言ってもよいのではないでしょうか。こういう仕かたで生活を送ってきた多くの世代は,洪水以前の世代や今日の世代にくらべて,きっとその技術もつたなく,知識も乏しいものであったにちがいない。他の技術もさることながら,とりわけ今日陸上海上で見られる戦争の技術や,また,その場所を国内にかぎっての戦争の技術,――いわゆる訴訟,内乱のごとく,悪事と不正を互いに働き合う目的で,言葉と行為のいずれによっても策略のかぎりを工夫しているような――,そういう戦争の技術に関しても,乏しいものであったにちがいない。しかし他方,それだけにいっそう人が好く,勇気もあり,またいっそう思慮深く,あらゆる点ではるかに正しくもあったと。」(679D)

洪水で世界がリセットした直後からの話ですが,一見してポジティブな言葉が並んでおり,平和なイメージが湧きます。
初期のプラトンの対話篇,「~とは何か」の追求が行われる場面を何となく思い出します。こういう素朴な生き方をしていた頃から変わっていないことを大切にする…ということは,プラトン対話篇に通底していることのように思います。

アテナイからの客人「さて,わたしたちが以上のことを話題にし,さらにそれにつづくことすべてを話そうとしているのも,その目的は,次のことにあるとしなくてはなりません。当時の人びとにとって,どうして法律が必要となったのか,また,彼らの立法者は誰であったのか,ということを理解するためなのです。」(679E)

法律が導入される前の世界は一種の「モナド」だったのかもしれないと思います。そこに法律という「窓」が必要になったのは何故か?ということがここから語られるようです。

アテナイからの客人「そうした時代の国制は,一般に家父長制 (デュナステイアー) と呼ばれているように思われます。」(680B)

アテナイからの客人「するとそういう国制は,滅亡がつづく困窮状態のため,一軒一軒ごとに分散してしまった者たちの中から,生じてきたのではないでしょうか。その国制にあっては,最長老の者が支配権を握っているのですが,それはその支配権を,父あるいは母から譲りうけたことによるのです。そして [それ以外の者たちは],その長老に服従し,鳥たちのように一つの集団をつくっているのですが,それはつまり,家長の支配に従っているのであり,あらゆる王制のなかで,最も正当な王制の姿をとっているのです。」(680D)

確かに何も無い状態では,身内・家族の年長者が支配権を持つところから始まるという気もしますし,「自然的」という気もします。しかし,完全にニュートラルな状態で,自然と理性に従って,誰が誰に従うべきか?と考えると意外と奥深い問題という気もします。そしてこれは後で (689E以降) 言われます。

アテナイからの客人「さて,その次の段階では,もっと大勢の者たちがひとところに集合し,もっと大きな集団 (ポリス) をつくります。そして,初めて山麓で農耕に向かい,また野獣たちを防ぐための防備の城壁として,粗石だけの一種の囲いをつくるのです。こうして今度は,共有の一つの大きな家をつくりあげるのですね。」
クレイニアス「そのようになるのが,おそらくとうぜんでしょうね。」(680E)

次の段階です。

アテナイからの客人「その大きな家が,初めの小さなものからしだいに大きくなってくる場合,それぞれの小さな集団は,一族ごとに,最長老の支配者と若干の風習――それらは互いの暮し方が隔たっているために,それぞれに固有のものとなっていますが――をたずさえてきます。その風習が固有であるというのも,神々と自分自身に関して彼らの風習としているものが,彼らを生んだ者,育てた者の異なるに応じて異なっており,節度あるものからは節度ある風習が,勇敢なものからは勇敢な風習が,生まれているからなのです。このようなわけで,とうぜんそれぞれの部族は,自分の性向を,その子供や,子供の子供に刻みつけながら,今も言うように,それぞれ固有の掟をひっさげて,より大きな共同体のなかへはいってくることになるのです。」
クレイニアス「どうしてそうでないことがありましょう。」
アテナイからの客人「さらに,それぞれの部族にとって,自分たちの掟は好ましく思われるが,他のものの掟は二次的なものになるのも,やむをえないことでしょう。」
クレイニアス「そのとおりです。」
アテナイからの客人「ではどうやらわたしたちは,知らぬ間に,立法の源に足を踏みいれたようですね。」
クレイニアス「まことにそのようです。」(681A)

ここは今を生きる人間にとってもかなり核心的なことを言っているように思えました。小さな集団が集まって大きな集団になるときに (会社の合併とか,部署の統合とか,あるいは (個人が最小の集団と考えれば) 自分がなにがしかの集まりやサークルに属する場合など,なんにでも当てはまると思います),それぞれの風習や掟が,互いに異なる場合にどうするか。これにどう折り合いをつけるかが,「立法の源」であると示唆されています。こういう誰しもが厄介な問題として直面した経験があることが,立法術の延長線上に位置づけることができる,というのは言われてみれば尤もかもしれませんが言葉にされると新鮮で,プラトンを読む甲斐があると思う瞬間です。

アテナイからの客人「わたしたちは,議論が横道へそれたものだから,さまざまの国制や建国の間をぬってくわしく調べてきたおかげで,それだけの儲けものをしているわけです。わたしたちは,一番目,二番目,三番目の国が,かぎりなく長い時間の間に,思うに,相ついで建国されていくさまを観察してきました。ところが今や四番目のものとして,このラケダイモンの国が――もしお望みなら,民族といってもよいのですが――建国当時の姿を保ち,しかも今は建国を終えたものとして,わたしたちの前に登場してきたのです。」(683A)

一番目,二番目,三番目の国というのは,ここまで話されてきた家父長制 (デュナステイアー),それが集まったもの,そしてその後でさまざまな国制を内包した国制,ということになるようです。この後は (現存の) ラケダイモンの国の成立が話されることになりますが,起源としてはアルゴス,メッセネ,ラケダイモンという3つの国に分かれて建設されたようです。

アテナイからの客人「したがって,そうした備えが将来堅固なものとなり,長期間存続するだろうと当時の人びとが考えたとしても,それはとうぜんのことではなかったでしょうか。それというのも彼らは,互いに数々の苦労と危険をわかち合いもしてきたし,また兄弟を王にいただき,一族によって治められもしてきたのですから。その上さらに,数多くの予言者たち,とりわけデルポイの神アポロンに,おうかがいを立ててきたのですからね。」
メギロス「彼らがそう考えるのもとうぜんのことです。」
アテナイからの客人「ところが,それほどの大きな期待も,今しがた言ったように,その小部分であるあなた方の領土を除いては,どうやら当時,間なしに消え失せたようです。しかもその小部分がまた,今日にいたるまで,他の二部分との争いを,かつてやめたことがありません。これがもし,かりに当時の意図が実現され,みなが和合して一体となっていたのなら,戦いにおいて,それこそ不敗の力を保っていたことでしょうに。」(685D)

かなり省きましたが,3つの国は連携して異国への軍備なども万全であったにもかかわらず,1つの国を除いては亡びたそうです。それがこの後で述べられます (引用は略)。

アテナイからの客人「ではどうでしょう。今の議論によって明らかにされたことこそ,だれにも共通した一つの欲望の形なのでしょうね,議論そのものがそう主張しているように。」
メギロス「どのようなことでしょうか。」
アテナイからの客人「わが魂の要求するままに事が行なわれてほしい,ということです。できれば事のいっさいが,さもなくば,せめて人間にかかわりのある事だけなりとね。」(687C)

ここもかなり省いていますが,軍備にせよ富にせよ,それを所有して何かをなすことが目的ではなく,「所有者がそれを用いることで,自分の欲するもの・ことを手に入れる」ということが潜在的にはそもそもの目的である,ということ?

メギロス「あなたの言おうとしておられることがわかりました。ひとが祈り熱望しなくてはならないのは,万事が自分の願望のままになるということではなく,それよりはむしろ,願望が自分の叡知 (思慮) に従うように,ということでなくてはならない。そしてこの,「知性が身にそなわるように」ということこそ,国家にせよわたしたちの誰ひとりにせよ,祈り求めなくてはならないことなのだ,――こういうことを,あなたは言おうとしておられるように思われます。」(687E)

アテナイからの客人「王たちが没落し,その意図したこともすっかり崩壊した原因は,臆病にあるのでなければ,支配者と支配さるべき者たちが,戦争に関することがらに精通していなかった,ということにあるのでもない。むしろ,それ以外のあらゆる悪徳によって破滅したのであり,とりわけ,人間にかかわりのあることがらのうち最も重要なことがらの無知のために,破滅したのだということです。」(688C)

王の没落,国の崩壊が「人間にかかわりのあることがらのうち最も重要なことがらの無知」のために,4つ存在している徳のうちの戦争とか臆病に関するもの以外に決定的なものがあると。これは前の引用の部分でもありましたが,国を動かすということでも潜在的にはその権力者の欲求によって動かす,ということから個人の徳がそもそもの原因となる,ということでしょうか。

アテナイからの客人「それでは,どんなものが,最大の無知と言われてふさわしいのでしょうか。あなた方お二人とも,わたしの言葉に賛成されるかどうか,考えてみてください。わたしとしては,次のような無知を,それと見なします。」
クレイニアス「どのような無知でしょうか。」
アテナイからの客人「自分ではあるものを,美しいとも善いとも思っているのに,それを愛さずにかえって憎み,反対に,劣悪で不正と思っているものを,愛し迎える,そういう場合の無知なのです。このように,快楽と苦痛が,理 (ことわり) にかなった思わくとの間できたす不調和を,わたしは無知のきわみであると主張します。」(689A)

自分が善いと思っているものと反対のものを愛すのが,ここでの「無知」ということが言われます。快楽と苦痛が,理にかなった思わくとの間できたす不調和…というのも,誰にでも反省することがあると思います。
国家でも同じことで,「大衆が支配者と法律に従わない場合」がそうなると。

アテナイからの客人「それでは,この点については,こういう決定がくだされ,告示がなされたものとしてください。すなわち,以上に意味における無知な市民には,支配権にかかわることは何ひとつゆだねてはならない。むしろ,たとえ彼が,いかに利害の計算にすぐれていようとも,またすべての気のきいたたしなみや,理解の敏捷さにかかわるようないっさいのことに,いかに骨身をけずっていようとも,無知の者としてこれを非難しなくてはならない。他方,これと反対の状態にある者は,たとえ彼らが,俗に言う「読み書きも泳ぎの心得もわきまえぬ」ものであれ,彼らを呼ぶに知者の名をもってすべきであり,またあらゆる支配権を,思慮ある者としてこれにゆだねなくてはならない,という決定です。」(689C)

アテナイからの客人「さて,国家にはかならず,支配者と被支配者とがいなくてはならないでしょう。」
クレイニアス「言うまでもありません。」
アテナイからの客人「よろしい。そこでつぎに,大国小国を問わず,また,家の大小においても同様に,支配し支配される資格には,どのようなものがあり,またどれほどの数があるのでしょうか。」(689E)

この後,支配者と被支配者になるべき組がつぎつぎ言われます。少し前のコメントで予告した部分ですが,まとめると (1) 親ー子供,(2) 高貴ー卑賎,(3) 年長者ー年少者,(4) 主人ー奴隷,(5) 強者ー弱者,(6) 思慮ある者ー知識のない者,(7) 籤に当った者ー外れた者,の7組です。それぞれ同等というわけではなく,それぞれに補足を加えながら (6) が最大のものであると言われます。
一見して (7) 籤に当った者ー外れた者,というのが異色です。「神に選ばれし者」だからとも言われますが,今の日本でも議員選挙で同票なら籤引きで決めたりするのを思い起こしました。

アテナイからの客人「彼らは,かのヘシオドスが『半分はしばしば全体よりすぐれている』と適切にも語っていることに,思い及ばなかったのではないでしょうか。ヘシオドスはこう考えていたのです。全体を獲得することは破滅を招くが,半分なら適度だという場合には,いつでも,適度の方が適度を超えたことよりもはるかにすぐれている。なぜなら,前者はより善いこと,後者はより劣ったことであるから,と。」(690E)

『仕事と日々』からの引用らしいです。中間性を善とした,アリストテレス『ニコマコス倫理学』を連想します。

アテナイからの客人「つぎに,第三番目の救い主は,お国の支配権が依然として乱れを見せ,血気にかられているさまを見て,いわば馬銜を噛ませるように,監督官 (エポロス) の権力を,籤による職権に準じたものとして導入しながら,それに配したのです。」(692A)

スパルタ建国時,なぜ生き残ることができたか?ということが神の力という文脈で語られる部分です。少し前の支配者ー被支配者の関係の「籤に当たったものと外れたもの」を連想します。第3番目と言っていますが,第1番目は王の家系を双子にする (権力を2つに分ける),第2番目は長老会のような有識者会議を作って権力を30人に持たせたことを言っています。

アテナイからの客人「このような点が,クレイニアスにメギロス,古今のいわゆる政治家や立法者たちに対して,わたしたちの非難しうる点なのですが,そのわたしたちの目的は,彼らの失敗の原因を探究することによって,それとは別の,どのような処置をとるべきであったかを,発見することにありました。その処置とはまさしく,今しがたわたしたちの言ったことにほかなりません。つまり,強大な支配権や混合の形をとっていない支配権を,立法によって設立してはならない,ということです。それというのも,わたしたちの意図によれば,国家とは自由なもの,思慮あるもの,みずからのうちに友愛を保つものでなくてはならず,立法者たる者,よくその点に着目して,立法しなくてはならないからです。」(693A)

前半の「失敗」とは,少し前に述べられた「マラトンの戦い」のことのようです。

アテナイからの客人「では聞いてください。国制には,いわばその母ともいうべき二つのものがあり,他の国制は,そこから生まれてきたと言って,まず正しいでしょう。そして,その一方を君主制,他方を民主制と呼ぶのがよく,前者の頂点にはペルシア民族が,後者の頂点にはわたしたち (アテナイ) が立っていると言ってよいでしょう。」(693D)

アテナイからの客人「ところが,今の二国のうち,その一方 (ペルシア) は君主主義を,他方 (アテナイ) は自由主義を,それぞれただそれだけを,必要以上に偏愛し,どちらの国も両者を,適量に保持してはいなかったのです。だがあなた方の国制,つまりラコニア (スパルタ) とクレテの国制は,その点でもっとうまくいっています。」(693E)

君主主義と民主主義を適量に保持するのが理想の国家,と言っていると思います。この辺りは『国家』篇とは結構異なった印象を受けます。というのは『国家』篇での国制は,(ここで言う) 君主主義が強いものとして,優秀者支配制と僭主独裁制を併置していました。また君主主義が多少弱まって民主主義が多少強まったものとしても,貴族政と寡頭制を併置していました。そして民主主義が強いものを民主制としていました。つまり,2次関数の頂点のようなものが民主制で,それよりずっとプラスにいけば貴族政~優秀者支配制,ずっとマイナスにいけば寡頭制と僭主独裁制…というイメージがありました。
しかしここでは,君主主義と民主主義は直線の反対方向に向かうもののように連想されます。つまり1次的で,第3の方向に膨らむものがない,という感じがします。
この後,ペルシアの王3代について言われます。特に,教育がうまくなされなかったので次の代の王で亡んだ,ということが言われます。

アテナイからの客人「まことに,いやしくも国家においては,誰かが並はずれた富をもっているという理由で,格別の名誉があたえられたりしてはならないのです。それはちょうど,もし徳に欠けるところがあれば,たとえその人の足が速く,容姿が美しく,また力が強かろうと,そのために格別の名誉があたえられてはならないし,たとえ徳があるにしても,もしそれに節制が伴わなければ,あたえられてはならないのと,同じことなのですから。」(696B)

わりと印象的な言葉です。この後,「節制が伴わなければ」の部分にメギロスが食いつき,この話題がしばらく続きます。

アテナイからの客人「節制が他のすべての徳から切り離され,ただそれだけが魂にそなわった場合,それは名誉なものと見られて正しいのでしょうか。それとも不名誉なものと見るべきでしょうか。」
メギロス「どう答えるべきか,わたしにはわかりません」
アテナイからの客人「ところが,そのあなたの答えこそ,まことに適切なのです。(略)名誉や不名誉の対象となるものにただ付随するだけのもの,そういうものは,言葉に出して言うべきではなく,言葉には出さず,黙っておく方がふさわしいのですから。」(696D)

節制とはそれ単独では意味をなさないが,徳や悪徳に付随してそれを増幅するものであると言われていると思います。『カルミデス』篇を思い出しました。

アテナイからの客人「では,わたしたちは言います。思うに,国家は,もしそれが人間の力に許されるかぎり安全に保たれ,幸福であろうとするなら,ぜひとも,名誉と不名誉の配分を正しく行なわなくてはならない。ところで,その配分の正しさとは,魂に属する善きもの――その魂には節制が伴う――が,最も貴いもの,第一位のものと見なされ,つぎには,身体に属する美しいもの,善きものが,第二位,さらに,いわゆる財産や金銭に属する善きものが,第三位,というように見なされることである。反対に,立法者にせよ国家にせよ,金銭をとくに重んじて名誉の地位に上げたり,あるいは,名誉の点で下位のものを上位に位置づけたりして,以上の順位から逸脱する場合には,その行ないは,神を敬うものでも,政にかなったものでもないことになるであろう。」(697A)

魂→身体→金銭,の順で名誉なものと言われます。
この後,「あまりにも民衆から自由を奪い去り,限度以上に専制的要素を持ち込み」などによるペルシアの凋落と民衆のモチベーション低下の様子も語られます。

アテナイからの客人「他方,アッティケの国制についても,つづいて同じような仕かたで,次のことを詳述しなければなりません。つまり,反対にいっさいの権威に縛られない完全な自由は,他者の権威に依存しながら適当な限度を守っている自由より,すくなからず劣っている,ということです。」(698A)

ということでペルシアの次は,その反対のアッティケの国制です。少し前にも引用しましたが,ペルシアの君主主義偏重に対して,アッティケの民主主義偏重が言われます。しかし「いっさいの権威に縛られない完全な自由」が,民主制として劣っているという意味なのだとしたら,やはり『国家』篇での民主制とは違う印象です。イデア的なものというより,やはりより現実的な印象です。
この後また,ギリシアがペルシアに攻められた歴史の話がしばらく語られます。

アテナイからの客人「ねえ,あなた方,昔の法律のもとでは,わが国の民衆は,けっして法律の主人ではありませんでした。むしろ,ある意味では,みずからすすんで法律に服従していました。」
メギロス「どのような法律に,とおっしゃるのですか。」
アテナイからの客人「まず第一に,当時の音楽に関する法律に,と申しましょう。もしわたしたちが,自由な生活の極端に増大してきたすがたを,最初から詳しく話そうとするのでしたらね。
それはこうです。当時わたしたちのもとでは,音楽は,それ自身のいくつかの種類や形態に分類されていました。歌の一種類に,神々に捧げる祈りがあり,それは賛歌 (ヒュムノス) という名称で呼ばれていました。(略) さらにまた,これらとは別の種類の歌として,まさに「ノモス」というこの名称で呼ばれるものもありました。もっともこれには,「竪琴に合わせて歌われる」という言葉がそえられていました。」(700A)

歌の種類として「ノモス」と呼ばれるものがあったと。ところで「ノモス」(νόμος) とは勿論法律のことでもあるので,「法律 (ノモス) の語源はこの歌で,ここで「竪琴に合わせて歌われる」と言われているように,そこから何かに「合わせる」,「守る」ものということで法律の意味になったのか?」と考えてしまうところではあります。が,ここでそう言われていないということは (思わせぶりではありますが),そういうわけではないのでしょう。

アテナイからの客人「ところが,その後時代がすすむにつれて,音楽のたしなみにそむいた違法を先導する者として,詩人たちが,――素質の面では詩人の才能をもってはいるが,ムゥサの定めた正しさや法規については無知にひとしい詩人たちが――生まれてきたのでした。彼らは,バッコスの狂乱にふけり,適度を超えて快楽のとりことなり,悲歌 (トレーノス) を賛歌 (ヒュムノス) に,アポロン賛歌 (パイオーン) を酒神歌 (ディテュランボス) に混合し,笛の調べを竪琴の調べで模倣し,ありとあらゆるものを互いに混ぜ合わせながら,無知ゆえにそれと気づくこともなく,音楽に関するこんな誤った意見まで主張したのです。」(700D)

秩序を壊す者として,詩人がまた悪者扱いされています (また,というのは『国家』篇での詩人追放論の印象が強いからですが)。しばらく前,682Aでは,ホメロスの詩を引用しながら「詩人はつねに真実に触れる」とありましたが…。

アテナイからの客人「こうして彼らは,このような作曲をし,それに類した歌詞をそえたりしながら,大衆のなかへ,音楽に関する違法と,充分な判定能力をそなえているかのような思い上がりを,植えつけたのです。その結果,劇場の観客たちは,あたかも自分たちが,音楽における美と美ならざるものとを熟知しているかのように,かつての沈黙から転じて騒々しくなり,かくて,音楽における「最優秀者支配制 」(アリストクラティアー) に代って,かの劣悪なる「劇場支配制」(テアトロクラティアー) が生じたのです。」(700E)

日本でも「劇場型政治」というものが言われて久しいと思いますが,ここの「劇場支配制」(テアトロクラティアー) という言葉はそれを想起させる部分です。尤もここは音楽について言われている場所ではありますが,この直後に「音楽だけであればさほど恐るべきものではないが,ここから万人のうぬぼれや法の無視が生じた」と言われます。そしてこれが,「自由」が発散する源であるということも言われます。
逆説的に言えば,自由を無条件に良しとする立場では,そういう「劇場型」もアリだということになるのかもしれません。しかしその帰結として何が生じるのか?(あるいは何も生じないのか?) と考えると,自由に「適度」が必要と言っているここでのアテナイからの客人の説は常識的なものに思えます。

クレイニアス「ほかでもありませんが,クレテの大部分が,ある植民をおこなおうとくわだてており,事の世話を,クノソスの人びとに委託しているのです。ところが,そのクノソス政府がまた,わたしのほか九人の者に,それを委託したのです。同時に政府はまた,法律についても,もしこのクノソスの法律でわたしたちの気に入るものがあれば,それを取り入れて制定するように,また,たとえ他国の法律でも,[気に入るものがあって] それがすぐれていると思われれば,他国のものであることに頓着せず,それを取り入れて制定するように,命じているのです。
こういうわけですから,さしあたり,わたしにもあなた方にもよいように,こうしてみてはどうでしょうか。これまで話された内容から選択して,いわば根本から建国するつもりで,言葉の上で国家を組み立ててみましょう。そうすれば,わたしたちにとっては,求めていることの吟味になるでしょうし,同時に,わたしはまたわたしなりに,その組み立て方を,将来の国家に役立てることもできるでしょう。」(702C)

ここで話はちょっとした展開を見せます。実はクレイニアスが,法律の起草をクノソス政府から委託されていると。それを踏まえて,今後また国家が「言葉の上で」建設されていくようです。『国家』篇第2巻と少し似た流れですが,どうなるのか。

第三巻のメモは以上。
ギリシア (やペルシア) の過去の国家の成り立ちから始まり,君主主義と民主主義の比較と,それらの適量が最善,という辺りがメインの内容だったかなと思います。まあ,ある意味,それを言っちゃあおしめえよというか,適度ということで一種の妥協をするというのは,「哲人王」と3つの比喩を引っ提げて最善の国制を追い求め,そこからの堕落という流れで種々の国制を論じた『国家』篇の勢いからすると,現実的というか「大人」な印象を受けました。
最後の最後で,クレイニアスによって実際に (実際にといっても本対話篇内部の話だと思いますが) 法律を作ることになっていると言われ,場面の転換になっています。正直,退屈な話が延々と続いてきていて読むのがしんどい,と思っていたところなので,少し面白くなるかな?と第四巻以降が楽しみです。

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