プラトン『クリティアス』メモ

プラトン『クリティアス』(プラトン全集 (岩波) 第12巻) を読んだときのメモ。

本対話篇は,『ティマイオス』の続きという設定です。ソクラテスに対して,ティマイオスによる宇宙の成り立ちに関する話の次に,クリティアスが 9,000 年前のアテナイと実在した (この「実在した」というのはあくまで対話篇内の文脈の話です) アトランティスに関する話をする,ということが『ティマイオス』篇で言われていました (27A)。あとで触れますが,この後でヘルモクラテスによる話も想定されており,本対話篇と『ヘルモクラテス』篇と合わせた3部作にするつもりだったことがうかがえます。
但し本対話篇は,途中で終わってしまいます。全集の解説では,これはプラトンの死による絶筆ではなく,構想に難があったため,『ヘルモクラテス』含め断念したのだと考察されていました。それは個人的には違和感を感じるところで,途中で投げ出すようなことをプラトンは本当にするのだろうか?とは思いますが,本対話篇より少なくとも『ピレボス』や『法律』の方が後に書かれたと専門家には考えられているようなので,それなら何らかの理由で断念したことになるのでしょう。
副題は「アトランティスの物語」。

以下は読書時のメモです。

ティマイオス「やれやれ,ほっとしたよ,ソクラテス,長い長い旅路を終えて一息ついている旅人のように,いまやっと<言論の旅路>から解放されたのだもの。」(106A)

ティマイオス「だから,これからも神々のご誕生にまつわる物語を正しく話していけますように,「神よ,薬のなかでも最善・最良の妙薬 <知性> をわれらにあたえたまえ」と祈るとしよう。そして祈りがすんだら,さきの申し合わせどおり,つぎの話はクリティアスにゆだねるとしよう。」(106B)

最初の引用のこのティマイオスの言葉で本対話篇が始まります。確かに『ティマイオス』後半のティマイオスの延々と続く話は長くて退屈ではありました。そして次の引用で,『ティマイオス』で言われていた話者の交代の宣言を明確に踏襲します。ここはもう明らかに『ティマイオス』の続きであり,プラトンの対話篇で,ここまで明確に他の対話篇を前提にした対話篇というのは珍しいと思います (尤も後期対話篇は非明示的にはいくつかある気もします)。

クリティアス「つまり,ティマイオス,神々のことを話題に取りあげて,人びとを相手にあれこれしゃべりまくるほうが,死すべきものどものことを取りあげて,われわれを相手にしゃべるより,「もっともな話だ」と思われやすいんだなあ。話の内容について聞き手がまったく無知,無経験の状態にあるというのは,それについてなにか話をしようとする者にとってはまったく好都合なことだし,それにまた,神々に関する自分たちの知識がどの程度のものか,われわれにはよくわかってもいることだしねえ。」(107A)

これは『ティマイオス』のティマイオスの話を読んでいると,実感するところはありました。自分もその部分は全然メモを残さなかったのですが,「もっともな話だ」というよりは,検証不可能で,結果疑問もないんですよね (現代の科学的な視点での疑問は別です。対話としては,という意味)。こういうのは仕事で誰かに説明するときなどでも同じという気がします。
この後も似たような弁解?が数度たとえを変えながら出てきます。クリティアスに言わせてはいますが,プラトン自身が自覚していたことなんだなと思うとちょっと可愛げがあります。

ソクラテス「もちろんですとも,クリティアス,なんでためらいましょう?大きな気持でお話をうかがおうということについてはね。それにまた,わたしどもは第三の語り手ヘルモクラテスにも,同じような寛大な気持でせっしなければなりますまい。」

ソクラテスは,クリティアスの躊躇にも,何の問題もないと励ましますが,同時に「第三の語り手」のヘルモクラテスにも言及します。これは明らかに『ヘルモクラテス』という対話篇が執筆段階で想定されていることを示していると思います。

クリティアス「では,なによりもまず,<ヘラクレスの柱>の彼方に住む人びとと,こちらに住むすべての人びととのあいだに戦がおきたと語り伝えられてから,まる九千年もの歳月がたっているということをお忘れなく。この戦の様子を,これからくわしくお話ししなければなるまい。
さて,話によると,この国 [アテナイ] は一方の側の軍勢の指揮をとり,しまいまで,この戦争を立派に戦いぬいたのだった。これに対して,相手方の軍勢はアトランティス島の王たちの配下にあったという。このアトランティスは,すでにお話ししたように,いまは地震のために海に没し,泥土と化して,これがこの国から彼方の海へと船出する人びとの航路をさまたげ,それいじょうの前進をはばむ障害となっているけれども,かつてはリビュアやアシアよりも大きな島だった。」(108E)

ここでアトランティスという名称が出てきます。ヘラクレスの柱,というのはジブラルタル海峡のことなので(註より),当時のアテナイでは地中海を抜けた先は全く別の未知の世界のようなものだったのでしょうか。地震で海没した,というのは『ティマイオス』で書かれていました。リビュア (アフリカ),アシア (アジア) よりも大きな島,というのは相当なものですね。具体的な島のスケールは後でも述べられます (引用はしていません)。
ここから具体的なアトランティスの描写が始まると思いきや,この後しばらくはアテナイを始めとした国の起りについて語られます。簡単にまとめると,まず神々が大地を地域別に分配しあった→そこの人間を導いた→(アテナイは)ヘパイストスとアテナが自分たちの土地として受け取った→しかしその業績は (大洪水があったこともあり) 途絶えてしまい伝わっていない→先祖の名前は辛うじて伝わっている…というようなことが述べられます。

クリティアス「さて,当時,アテナイにはさまざまな階層の市民たちがいて,それぞれ手仕事に従事したり,大地からの食糧生産に従事したりしながら,それぞれの暮らしをたてていたが,軍人階層のほうは,はじめから神々に縁のある人びとの手で [他の市民から] 分け離され,栄養をとったり教養を深めたりするのに必要なもののすべてを [他の市民から] 手に入れつつ,かれらだけで独自の生活を営んでいた。そして誰ひとりとして,いかなる財も私有することなく,すべてを全員の共有物とみなすとともに,食糧なども適量以上に要求して他の市民から調達するようなことはしなかった。このようにしてかれらは,昨日の会合で話された仕事,つまりわれわれの提案した <国守り> の問題をめぐって述べられたことがらを,あますところなく忠実に実践していたのである。」(110C)

まだアテナイについてですが,ここの内容は,明らかに『国家』第3巻あたりの守護者の私有財産を禁止すべしという部分を踏襲しています。もともと『ティマイオス』がその冒頭の会話から,『国家』の対話の翌日という設定と考えられるので,その内容が色濃く反映されているのは本対話篇も同じで「昨日の会合」というのはまさに『国家』のソクラテス,グラウコン,アデイマントスらとの対話のことでしょう。ただ,その『国家』で語られた理想国家をなぞっていればこそ,ここでの過去のアテナイの描写の真実味が損なわれている,という気もします。

ここから,いかにアテナイの国土が肥沃であったか,ということも入念に語られます。今でもそうだと思いますが,水などの資源や大地の恵みというのは当時としてはもっとクリティカルなことだったのでしょう。
またアクロポリスの説明もなされます。上階を軍人階層,坂の下には職人や農民が住み,軍人階層の人数は約2万人だったことなど。

クリティアス「かれらは,その肉体の美しさと精神のあらゆる面でのすばらしさゆえに,エウロペやアシアのすみずみにまで知れわたり,その当時の人びとのなかでもっとも名のとおった者たちなのであった。」(112E)

クリティアス「ソロンはこの物語を自分の詩作に利用しようと思って,そこに出てくるいろいろな名前の意味を調べているうちに,はじめにこれらの名前を文字に書きとめたあのエジプト人たちが,それらをいちど自分の国のことばになおしてから書いているのに気づいた。そこでソロンは,もういちど [エジプトのことばで書かれた] 名前の一つ一つを,その意味に注目しながら,わが国のことばになおして書きとめた。ぼくの祖父の手もとにあったのはじつはこの記録で,これはいまでもぼくの手もとにあるが,ぼくは子どものころ,これをすっかりおぼえてしまったというわけだ。」(113A)

「異国の者たちがギリシア名で呼ばれているのを聞いても,驚いてはいけません」と前置きして上の言葉が言われます。クリティアスの話というのは,ソロンがエジプトの神官から聞いた内容が元になっているのでした (『ティマイオス』22B~)。それはアトランティスの言葉?→エジプト語に直したもの (エジプトの神官) を,エジプト語→ギリシャ語に直したもの (ソロン) に基づいていると。つまりここでアトランティスの言語の問題が棚上げにされました。

クリティアス「さきほどぼくは神々の国土分配について,「神々は全大地を大小さまざまの地域に分配され,自分のために社と生贄を準備された」とお話ししたが,ポセイドンもまた同じようにしてアトランティス島を受け取りたまい,人間の女に生ませた自分の子どもたちを,この島のつぎのようなところに住まわせたもうた。」(113B)

ついにここからアトランティス島の具体的な描写が始まります。ただ描写については基本的に引用は省略します。
まず島自体の自然環境はポセイドンが整備したとしてその内容が色々言われます。またポセイドンが5組の双子の男の子を生んで,最年長の子の名前をアトラスとしたとか,それで島全体や周辺の海が「アトランティコス…」と呼ばれるようになったとか言われます。ヘラクレスの柱=ジブラルタル海峡の先の海といえばまさに大西洋ですが,その語源がこれだとしたら面白いです (ざっと調べたら,本対話篇より古いヘロドトス『歴史』などにもこの呼称が出てくるようですが)。

クリティアス「このようにかれらが莫大な富を所有し諸施設を完備しえたのは,かれらの支配権のゆえに海外諸国からかれらのもとに多量の物資が寄せられたからであるが,しかし生活に必要な諸物資の大部分をこの島でじかに産出しえたからでもある。なによりもまず,この島では硬・軟両質の地下資源がことごとく採掘された。」(114D)

ということで資源に恵まれていたということが分かりますが,他にも森林も家畜等の動物も香料も果実も,なんでもあったと書かれます。
また,当時は金につぐ貴重な金属である「オレイカルコス」という金属も採れたとあります (114E)。これは,もしや「オリハルコン」でしょうか?なお Perseus Digital Library を見るとギリシア語では ὀρειχάλκου (名詞形 ορείχαλκος ?) のようで,黄銅のことのようですが,勿論アトランティスのそれが今でいう黄銅だったかどうかは分かりませんね。

クリティアス「はじめに,かれらはむかしの中央都市 (メトロポリス) を囲む海水環状帯に橋をかけ,王宮に出入りする道をつくった。それから,はじめはポセイドンとかれらの先祖が居所を定められたちょうどその場所に宮殿を建てたのだが,これは,代々の王が先王からこれを承け継ぐたびに,先王をしのごうと力を尽していろいろな付属施設を整備したので,しまいにはその規模の大きさといい出来ばえのすばらしさといい,驚くほど見事な住まいに仕上げられていったのであった。すなわち…」(115C)

ここから実際に街というか国家の様子が色んな視点から描かれていきます。宮殿,水 (濠,水運),自然条件,徴兵,国家権力など。また全集の解説には,ここの描写を元にアトランティスの地形が図示されていたりします。
引用は全面的に省略していますが,ある意味ではこの部分が本対話篇のメインといえるでしょう。

クリティアス「当時のアトランティスの国々は量質ともにかくもすぐれた力をもっていたのだが,神はその力を一つにまとめられ,こんどは,このわれわれの住むアッティカへお移しになったのである。それは話によると,なにか次のような理由からであった。」(119D)

しかしいきなり,ここで「アッティカへ移った」と言われます。理由の部分は省略しますが簡単にいえば,神性によって保持されていた国の形が,人間が増えて人間的になっていった結果,という感じでしょうか。
ここは『国家』第8巻で,<優秀者支配制>が<名誉支配制>に変化していく過程に対応するのかな?と思った部分です。

ところがなんと本対話篇はこの直後,ゼウスが人々を懲らしめた…と語られている最中に急に終了します。

 

メモは以上。本対話篇は,現代にも語り継がれるアトランティス伝説の「原典」として,読み物として面白いものだと思います。実際に小説や映画 (やファミコンソフト (笑)) にまでなるほど人々を魅了した伝説の,2,400年ほど前にプラトンによって書かれた原典だと思うとワクワクします。そしてこれを,多少プラトンを読んで来た者なら,自ずから『国家』で描かれた内容と関係があるものとして読んでしまうところだと思います。

プラトンはアトランティスを「何のために」描こうとしたのでしょう。まず互いに戦争した片方として,9,000年前当時のアテナイも描かれましたが,そちらの方が『国家』の理想国を具体化したもののようにも思えます (自分側だし,『ティマイオス』の序盤 (26D辺り) でもそれはうかがえます)。しかし本対話篇の中断直前の「アッティカへ移った」という記述から,中断箇所の後で,アトランティスの国制やら何やらがアテナイ側に輸入されるという構想があったのかもしれません。アテナイを描くのに較べ,シムシティ (シムアース?) のように,全てを一から作れるという自由度がアトランティスにはあったと思います (といっても地理的にもなかなか説得力がある設定ですが)。

さて,プラトンは『ティマイオス』のソクラテスに,「立派な動物が,絵に描かれているとか…どこかでそれを見た人が,その動物の動くところを見たい,何かその体格からとうぜん期待されるものを発揮して競技を競うところを見たいと切望するようになる,といった場合がそれなのでして,わたしもまた,いまわれわれが話した国家に対して,それと同じ感情をいだいているわけです」(19B) と言わせています。その期待を受けて語られるアトランティスが,プラトンの理想国家の表象であることは間違いないと思います。

この対話篇が中断したのは,だからこそ,なのかもしれません。国家に関するプラトンの理想が,実装されて (現存したと描かれて) しまうと,少なくともそれは必要条件を満たしてしまいます。しかし『国家』で国家とともに描かれた「イデア」は,実装を拒絶したものだと思います。仮にプラトンが本対話篇で,理想を実装したものでは満足せずに,理想 (イデア) そのものを描こうとしたのなら,それはどうしても現実の国家として描けないもののはずです。もしかしたら SF の世界なら実現できたのかもと思ったりもします。そして実際,未完だったからこそ後世で時代に合わせた色んな実装が現れた,ともいえるので,プラトンも喜んでいるかもしれませんね。

プラトン『ティマイオス』メモ

プラトン『ティマイオス』((プラトン全集 (岩波) 第12巻) を読んだときのメモ。

目下『国家』を読解しているところですが,一応,2014年 (平成26年) のお盆休みの課題の1つとして図書館に通いつめて読みました(笑)。

本対話篇は,『国家』の対話が行なわれた翌日という設定 (と言われているわけではありませんが,明らかでしょう) で,ソクラテスがティマイオス,クリティアス,ヘルモクラテスという3人と会い,前日にソクラテスが語った国家についてそれぞれ語っていくということになります。その前に,クリティアスが祖父に聞いたという昔話…アテナイにこそそういう国家がかつて存在していたとか,アトランティスという島が昔存在して隆盛を極めていたなどというエジプトに伝わる言い伝え…を語り,その後まずは天文学に詳しいティマイオスが「宇宙の生成から始めて,人間のなりたち (自然の本性) のところで話を終えてもらう」(27A) ということでティマイオスがそういうことをほぼ一方的に語っていきます。

この『ティマイオス』は,自然科学に通じるような内容を扱っているという点で異色だと思います。例えば万物は火,空気,水,土から構成されるというようなことも結構な筋立てで言われます (火は正四面体,空気は正八面体の要素で構成されているとか)。しかし,基本的な考えとしては,宇宙というのは「善なる創造主」が作ったということで,プラトンとしては,そういう万能の主がある思わくをもって (→「善のイデア」に基づいて?) 宇宙・世界・人間を作ったということになると思います。他方で,当時は原子の存在などは観察できていなかったわけです (原子論などは当時もあったようですが)。つまり,そういう意味で現代の目からすると,物質や生物の成り立ちについては「合目的的」な内容に始終していると感じました (「合目的的」というのは解説で使われていた言葉ですが,これに尽きると思いました)。半面で,天体観測については当時も行なわれていたようで,宇宙とか惑星については当時もかなり知見があったんだなと思わされるところもありました。

なお,アトランティス自体は,同じ全集12巻に所収されている『クリティアス』の方が詳しいようです。

以下は読書時のメモです。

ソクラテス「それでは,わたしがあなた方に,どんなことについて話してもらいたいとお願いしたか,その全部をおぼえておいででしょうか。」
ティマイオス「おぼえている分もありますよ。しかし,おぼえていない分は,当のあなたがここにおられるのだから,思い出させてもらいましょう。いや,それより,面倒でなければ,あの話をはじめから簡単に,もう一度くり返してみてくれませんか。そうすればわれわれの側としても,記憶がもっと確かになるでしょうから。」
ソクラテス「そのようにしましょう。昨日のわたしの話の要点は,国家について,それがどんな体制のもので,どんな成員から構成されるなら,最上のものになるだろうかという,わたしの所見をお話したものだったと思いますが。」(17B)

ということで,ソクラテスがティマイオス達に,なにかをお願いしたようですが,それは「昨日のソクラテスの話」に関することのようで,明らかに『国家』の翌日という設定なのが読み取れます。この後,具体的に『国家』の要約が行なわれます (但し,「哲人政治」やイデア論的な内容は語られなかった)。
そしてソクラテスは,「模倣を仕事とする」作家でも,ソフィストでもない人として,ティマイオス達に,ソクラテスが語った国家について語ってもらおうとしたようです。

クリティアス「すると,神官のうちでも大そう年とった一人が,こう言ったというのである。『おお,ソロンよ,ソロンよ,あなた方ギリシア人はいつでも子供だ。ギリシア人に老人というものはいない』と。」(22B)

ここから暫くは,クリティアスの祖父 (も,クリティアスというらしい) がソロンに聞いた話を,クリティアスが語ります。正確には,クリティアスの祖父が,その父ドロピデスから,ソロンの話として聞いた話をクリティアスに話した内容,ということのようです。そしてソロンも,このようにエジプトの神官に聞いた話と。
つまり,エジプトの神官→ソロン→曽祖父ドロピデス→祖父クリティアス→クリティアス,と伝承されてきた話ということになります。こういうややこしい設定がプラトンは好きですね(笑)。
この後,「エジプトではナイル河等の自然に守られていて過去の記録が残っているが,ギリシアでは大洪水が何度もあって記録されることもなかった」というようなことも言われます。

クリティアス「『かつて,水による最大の破壊に見舞われる以前に,現にアテナイの国であるところのあの都市国家が,戦争にかんしても最強であれば,またあらゆる面で卓抜した法秩序を持っていたことがあるのだ。そして,その国家の遂行した偉業も,その国政も,およそこの天の下でわれわれの耳に達したあらゆる事例のうちで,最も立派なものだったと言われているのである』。」(22C)

伝承の話が暫く続きます。アテナイにかつて,理想的な都市国家が存在していたそうです。なおメモにはありませんが,これは9,000年前の話と言われています。現代からプラトンの時代が2,400年ほど前なので,まあ相当前だなあという感じです…電気,半導体,コンピュータ,インターネット,携帯電話等を代表する現代の文明と,プラトンの時代との時間的な差の更に4倍以上も昔の話で,そのどこかで今のような文明が栄えたらどうなっていたのだろう?とか思ってしまいます。

クリティアス「『文書は,どれほどまでに大きな勢力の侵入を,あなた方の都市がかつて阻止したかを語っているのだが,これは,外海アトラスの大洋 (大西洋) を起点として,一挙に全ヨーロッパとアジアに向かって,暴慢にも押し渡って来ようとしたものなのだ。』」(24E)

クリティアス「『さて,このアトランティス島に,驚くべき巨大な,諸王侯の勢力が出現して,その島の全土はもとより,他の多くの島々と,大陸のいくつかの部分を支配下におさめ,なおこれに加えて,海峡内のこちら側でも,リビュアではエジプトに境を接するところまで,またヨーロッパではテュレリアの境界に到るまでの地域を支配していたのである。』」(25A)

アトランティスが出てきました。このアトランティスは相当強大な国家?だったようです。
さて現代,アトランティスと聞くと,「なんかそういうファミコンのゲームがあったなあ」というのが僕の第一感でしたが (笑),伝説上の大陸というイメージがあると思います。それが,プラトンの著作に出てくる,というこの何ともいえない唐突な感じが嬉しいです。
今年 (2014年) になって,「アトランティス大陸が発見された?」というニュースが NHK でありましたが,その時に「プラトンの著作に出てくる」というようなことは言われていました。

クリティアス「『しかし後に,異常な大地震と大洪水が度重なって起こった時,過酷な日がやって来て,その一昼夜の間に,あなた方の国の戦士はすべて,一挙にして大地に呑み込まれ,またアトランティス島も同じようにして,海中に没して姿を消してしまったのであった。』」(25D)

…ということで伝承は,アテナイの理想国家もアトランティス島も地震と洪水で沈没してしまった,ということになるのですが…本当に地震・洪水でこれらが滅び,かつその伝承がエジプトに残っていた,ということが事実ならば,奇跡だなと思います。地震と洪水でそんなに広範囲が滅亡してしまうというのも想像はしづらいのですが,何せ10,000年以上の時の中では自分が生きてきた高々何十年の常識を超越する何かがあっても不思議ではない,という気もします。
でもまあ,きっと作り話なんでしょう(笑)。プラトン自身が作ったかどうかは措くとして。

クリティアス「さて,ソクラテス,老祖父クリティアスがソロンから聞いたままに語ってくれたことは,簡潔に言えば,以上君が聞いた通りだ。ところで,君の話のあの国家とその成員のことだが,それを昨日君が話してくれていた時,わたしは,ちょうどいま言ったことを思い出して驚いていたのだ。…君の話が大部分,ソロンの言ったこととぴったり一致しているのに気づいたからだ。」(25E)

伝承の話が終ったところで,『国家』でソクラテスが語った国家 (と思われる) と,アテナイの理想国家がおおむね一致していたとクリティアスは言います。
これが本当なら,そういう国家があったことも,その国家を伝え聞いていたクリティアスが『国家』の舞台にたまたま同席していたことも,さらにソクラテスがその国家について知らなかったことも,すごい偶然ということになると思います。
くどくなってしまいました。まあ信憑性についてはどうでもいいですね。当時プラトンがこれを書いた,というだけのことです。

クリティアス「いやほんとうに,君,子供の頃に学んだことは驚くほど記憶に残るという諺の通りだねえ。何しろわたしなんか,昨日聞いたことだと,その全部を記憶に呼び戻すことが,さあできるかどうか,あやしいと思うが,ずっと以前に聞いたあの話のほうは,その一つでもわたしの記憶から落ちているとすれば,それこそまったく不思議だろうからね。」(26B)

これは特に内容とは関係ないのですが,たまたま僕も読んだ当時に昔のゲーム (FF2) をプレイしていて,小学生の時のゲームにもかかわらずかなり深くストーリーとか街の名前とか登場人物とか音楽とかをとてもよく覚えているのに,反対に最近のゲームについては全然覚えてないな,と思い実感がありました。

クリティアス「われわれの案では,こういうことになったのだ。まずティマイオスだが,この人はわれわれの中で一番よく天文学に通じていて,万有の本性を知ることを,特に自分の仕事にして来た人だから,最初にこの人に,宇宙の生成から始めて,人間のなりたち (自然の本性) のところで話を終えてもらう。」(27A)

この後の対話の展開を,クリティアスがリードして,まずティマイオスに宇宙の生成や人間のなりたちについて話してもらうことになりました。

メモは以上。
…実はこの後こそが『ティマイオス』の主要な部分で,ティマイオスが延々と,創造主の話,天体の話,元素?の話 (→火,空気,水,土から万物ができている) といった自然の話や,味覚や嗅覚等の感覚や臓器,病気,身体と魂,男女といった人間の成り立ちの話が語られますが,そんなにメモしたい部分がなかったようです。
また全集では補注がやたら充実しています。これは主に『ティマイオス』の具体的な内容をどう解釈するかということや,当時の物質の成り立ちに関するピュタゴラス派,エレア派等の学説とか色々あったようですが,殆ど読み飛ばしました…。
総じて,研究者としては解釈の面で重要でしょうが,読み物としては,最初に書いたように,合目的的に,つまり善のイデアがあってそれが全てのものを支配していると仮定して宇宙や人間を説明した,という感じです。電子顕微鏡によって原子が実際に観察されるまでになった現代の科学の視点からは,火が正四面体,空気が正八面体,土が正六面体,水が正二十四面体で構成されている…といったような説を元に言われる話は直観に反する内容で,悪く言えばオカルトっぽいのです。
勿論,だからといって『ティマイオス』の価値を損ねるものではない,と思います。むしろ逆で,自然に対する好奇心や尊崇の念と,当時なりにあらゆることの整合性が合うようにと考えたその情熱というものはひしひしと感じます。今とは違って,自分たちの知ることのできる範囲というのは極めて限定されている,ということの自覚もあったはずで,だからこそ単なる空想ではなく,自然への信頼というのは今よりあったのかもしれません。
それを承知の上で,やっぱり退屈なのは事実です(笑)。読む前は,比較的話題に上りやすい (と思われる) この対話篇がなんで文庫化されないのかなあ,と思っていたのですが,読んでみて分かった気がします。尤も,本篇だけではなく後期対話篇 (『ソピステス』とか『パルメニデス』とか) 共通ではあるかなと思います。やはり難解なのです。

ということで少し順番を変えての夏休みの課題でした…。ちょっと時間があまりなかったので慌てて読んだ感もあり,もう少しじっくり読んでみたいという感じもします。

プラトン『カルミデス』メモ

プラトン『カルミデス』((プラトン全集 (岩波) 第7巻) を読んだときのメモ。

この対話篇は,ソクラテスが出征から戻ってきたところという設定です。その戦争の話を周囲に聞かせたりしているところで,カルミデスという,ソクラテス曰く非常に美しい若者が現れます (勿論男です…この辺りの当時の事情は『饗宴』メモなど参照)。そのカルミデスにソクラテスは,魂の美しさはどうかと確かめたくて対話をしかけます。そこで居合わせたクリティアスが,「カルミデスは克己節制 (思慮の健全さ) において傑出している」と言うので,対話の主題は,カルミデスは克己節制 (思慮の健全さ) を持っているか,そして結局,克己節制 (思慮の健全さ) とは何か,ということになり対話が進められます。といっても,実際にはカルミデスに克己節制 (思慮の健全さ) とは何かを予め言い含めていたクリティアスが対話の一番メインの相手になります。
対話では,「克己節制 (思慮の健全さ) とは「知の知」である」といったなるほどという主張がクリティアスによってなされ,ソクラテスもそれ自体は否定しないのですが,しかし「知の知」というのは他の具体的な知 (例えば健康に関する知) ではないため,結局それがあっても有益ではない,というのが結論のようなものになります。ただ,克己節制 (思慮の健全さ) が有益でないはずはない,ということはソクラテスも言い,自分にはまだそれを明らかにする力がないということになります。
副題は「克己節制 (思慮の健全さ) について」というそのままのもの。

以下は読書時にメモした内容です。

「というのも,かれ(メモ註:従軍中に会ったトラキア人の医術師)の説明では,からだや一個の人間全体の善悪はすべて,たましいに始まり,そこから流れ出してくるのだ。ちょうど,頭から眼に流れこむようにね。したがって,頭にしても,からだの他の部分にしても,うまく働かしたければ,まずなんといっても,とりわけ,そのたましいの世話をしなければいけないそうだ。」(156E のソクラテス)

『論語』に「巧言令色,すくなし仁」というのがありますが,容姿端麗のカルミデスについて,見た目だけじゃなくて魂もちゃんとしたものであるのか?という本格的な対話に入る前の牽制のような言葉だと思います。

「さあ,だから,自分で答えてくれたまえ。はたしてきみ (メモ註:カルミデス) は,このクリティアスの言うことを認めて,すでにもう十分に克己節制 (思慮の健全さ) を分けもっていると主張するかね,それとも,まだ欠けるところがあると言うのかね?」(158C のソクラテス)
「それなら,それがきみ (メモ註:カルミデス) のうちに内在しているのかいないのか,その見当をつけるために,説明してくれたまえ」とぼくはいった。「きみの思わくでは,克己節制 (思慮の健全さ) とは何であると主張するのか,を」 (159A のソクラテス)

クリティアスに克己節制 (思慮の健全さ) を備え持つと言われたカルミデスは,決して驕っているわけではないのですが自分がいかに克己節制 (思慮の健全さ) を持つかということを,また結局その克己節制 (思慮の健全さ) とは何であると考えるかということをソクラテスに問われます。
このあとで,カルミデスは克己節制 (思慮の健全さ) を,(1) 秩序を守りかつもの静かに行なうことである,(2) 人間に恥を知らしめ,羞ずかしがらせるものである,(3) 自分のことだけをすることである,と答えるのですが,いずれもソクラテスに反駁され否定されます。で (3) を教えたのはクリティアスらしいので,ソクラテスはその後,クリティアスを相手に対話を始めます。

「わたしの主張はこうですよ。善いものではなく悪いものを作る人間は,克己節制 (思慮の健全さ) をもたない。しかし,悪いものではなく善いものを作る人間のほうは,克己節制 (思慮の健全さ) をもっている,というのですよ。つまり,善いことをすることが克己節制 (思慮の健全さ) である,とこう明確に規定してあげます」(163E のクリティアス)

「なぜなら,わたしの主張は,克己節制 (思慮の健全さ) とは,まさしく自己自身を知ることにほかならない,といったところですし,そのような意味の銘文をデルポイの神殿に奉納した人にわたしは組するからです。
…すなわち,アポロンはいつだれが参詣に来ても,じつは『思慮が健全であれ』と呼びかけているのです。
ところが,アポロンは予言をつかさどる神ですので,かなり謎めかして呼びかけています。つまり,『なんじみずからを知れ』と『思慮が健全であれ』とは,同じ意味の言葉なのです。」(164D のクリティアス)

この「なんじみずからを知れ」というのは有名な言葉で,『アルキビアデスI』などでも出てきます。ソクラテスを象徴する言葉とも言えると思いますが,ここでクリティアスはそれこそが克己節制 (思慮の健全さ) であると言っているようです。

「それごらん,これだから!ソクラテス」とかれは言った。「結局,あなたは,克己節制 (思慮の健全さ) という知がほかのすべての知とどんな点で異なるのか,という問題を探究するはめになりましたね。もっとも,あなたはそれとほかの知との類似点をさがしておいでですが,しかし,事実,そんな類似点はないのです。ほかの知はどれも,それ自身とはちがったものについての知で,それ自身についての知ではありませんが,この克己節制 (思慮の健全さ) だけは,ほかのいろいろな知についての知であるばかりか,それみずからについての知 [知の知] でもあるのです。」(166B のクリティアス)

克己節制 (思慮の健全さ) とは,知の知である,とクリティアスは言います。「知の微分」という感じかなと私は思いました。ちょっとむきになっていますが,言っていることはなるほどと思うところがあります。

「なんという考え方をするのだ」とぼくはやり返した。「よしんば,きみをやっつけることになっても,それに他意はないわけで,ひとえに自分が何を言おうとしているのかを吟味するためなのだ。つまりぼくは,知らないのに何か知っているように思っていながら,それに気づかないことがありはしないかと恐れるのでね。」
「それなら,自信を出して」とぼくはつづけた。「めぐまれた人よ,きみに思われるとおりに,ぼくの質問に答えてもらいたい。やっつけられるのがクリティアスだろうと,ソクラテスだろうと,そんなことは気にしないで。むしろ,ひたすら議論そのものに注意をはらいつつ,その議論がどうすれば難関をきりぬけられるかを検討してくれたまえ。」(166D のソクラテス)

ソクラテスもクリティアスに手を焼いている感じですが,さすがに冷静です。議論の勝ち負けではなく,ただ答を追求するソクラテスの姿がよく表れている一節です。こういう互いにちょっと激したようなやりとりがあるのも,ただ論文のように自説が淡々と述べられているのとは違う,プラトン対話篇の面白いところです。

「それなら,克己節制 (健全な思慮) の人だけが自己自身を知っていることになり,自分はまさしく何を知り何を知らないかをしらべあげることができることにもなる。さらに,かれだけが,ほかの人びとについても同じようにして考察できることになるわけで,相手の他人(ひと)が何を知り,知っている以上は何を知っていると思っているのか,また反対に,相手の他人が,ほんとうは知らないのに,何を知っているように思っているのかも,考察できるということになるだろう。この克己節制 (健全な思慮) の人以外にはだれも,そういうまねはできないだろうね。そしてまた,まさしくこれこそが,克己節制 (思慮の健全さ) をもつこと,克己節制 (思慮の健全さ),自己自身を知ることにほかならないのだ。つまり,何を知り何を知らないかを知ることこそが。これらの点がきみの言いぶんかね?」(167A のソクラテス)

「何を知っていて,何を知らないか」を知ること,またそれが自分だけでなく他人についても分かることが,克己節制 (思慮の健全さ) であると。

「つまり,それ自身に関係のある独自の機能をもともと自分でもっているものはひとつも存在せず,その機能はもっぱら自分以外のものに関係するだけなのか,それとも,それ自身に関係させるものが存在するばあいもあり,存在しないばあいもあるのか?またもし,今かりに,どういうものであれ,自分が自分に対してそういう関係をもつものがいろいろ存在するとすれば,われわれがまさしく克己節制 (思慮の健全さ) だと主張する知は,はたして,そのなかに数えられるのかどうか?―こういった区別だがね。このぼくには,そういう区別を十分にやってのけるだけの自信はないよ。したがって,これ,つまり,知 (について) の知というものの存在が可能になるかどうかについては,確信ある主張はできないし,また,かりに存在するとしても,その知の知が克己節制 (思慮の健全さ) なのだということを承認することもしないよ―それが,なにかそういう知の知であれば,われわれの利益 (ため) になるのかどうかの検査をぼくがすますまではね。」(169A のソクラテス)

この部分の最初に言われていることは,本文に例があるのですが,例えば「視覚」といった場合には,視覚によって何かを見るわけですが視覚自身を視覚によって見ることはできない…というようなことで,それ自身とその機能が同一でありうるものがあるかどうか,ということが言われています。GNU = Gnu is Not Unix の略のように,自己再帰的かどうかということにちょっと似ています。そして,クリティアスが言う「知の知」というのがそもそも存在可能なのかということをも提起しています。

「したがって,克己節制 (思慮の健全さ) をもつことや,克己節制 (思慮の健全さ) そのものは,何を知り何を知らないかを知ることではなくて,ただ単に,知っている,知っていない,と知るだけのものにすぎないことになるようだね」
「どうも,そういうことになるようです」
「すると,他人 (ひと) がなにか知っていると主張しても,その人が知っていると主張している事柄を,はたして知っているのか,知っていないのかの吟味も,この克己節制 (健全な思慮) のもちぬしにはできないということになる。できるのは,相手の人がなにかある知をもっている,と知るだけのことにすぎないようだ。それに反して,それが何 (について) の知なのかということのほうが,克己節制 (思慮の健全さ) が相手の人に知らせてやることにはならないだろう」(170D)

対話は進んで,克己節制 (思慮の健全さ) は,知っているかどうかは分かるが「何を」知っているのかは分からない,と言われます。なんか段々役立たずな感じになってきます。私のテキトーな「知の微分」説でも,知という一変数にしか触れられないのでその通りかもしれません。で,実際には克己節制 (思慮の健全さ) のみしか持っていなければそうかもしれませんが,克己節制 (思慮の健全さ) と,他に何かしら持っている知を組み合わせれば何を知っているか分かりそうなのですが…。ただそうだとすると,「知がなければ克己節制 (思慮の健全さ) は不要」ともいえます。

「いや,いや,ぼくの言っているのは,いちばんかれの幸福に貢献する知のことだよ」とぼくは言いかえした。「それは,何についての知であるという点で,貢献度がいちばんなのだね?」
「善悪についての知であるという点です」とかれは答えた。
「殺生なやつだな,きみは!」とぼくは言った。「さっきから,ぼくを引っぱりまわすだけ引っぱりまわしておいてだよ,いいようにやる (うまく行く) ことやいいダイモーンがついていること (幸福) を保証してくれるのは,知にしたがって生きるということではなく,さらには,ほかのすべての知にしたがって生きるということでもなくて,ただ一つの知,つまり,善悪についての知にしたがって生きるということだったのに,それをきみは秘密にしてかくしているとは!」(174B)

ここで「善悪の知」というのが出てきます。なんか「知の知」よりも,他の種類の知よりも上のものがこの「善悪の知」ということでしょうか。

「してみると,克己節制 (思慮の健全さ) は,利益の専門家ではないことになるね,友よ。だって,それどころか,われわれはたったいま,その仕事[利益]をほかの技術[善悪の知]にわり当てたばかりだもの。そうだろう?」(175A のソクラテス)

ここで克己節制 (思慮の健全さ) ≠ 善悪の知,となります。上で,克己節制 (思慮の健全さ) 「だけ」では「何を」知っているか分からない,と書きましたが,まさに「善悪の知 + 克己節制 (思慮の健全さ)」こそが,自分自身を知り相手が何を知っているのかも知ることになるのかもしれません。解説にも似たことが書いてありますが。

要するに,「ソープロシーネ (メモ註:克己節制 (思慮の健全さ) の原語)」の基本義は,健全なる思慮,正気ということであり,思慮を失うとか,我を忘れるとかいうことの反対だと解されねばならない。これは死すべき人間が自己の分限をさとることに通じ,反面においては,神の尊厳の認識として,なにか宗教的な意味をもつものなのである。(解説)

本篇を読んでいると「克己節制 (思慮の健全さ)」とは「知の知」,で結局何か役に立たないもの,というようにも思ってしまいますが,確かに素直に考えればこの解説のような意味のほうが近い気もします。

『カルミデス』がプラトンの諸著作のなかで占める思想的位置について考える場合,明瞭なことは,右にのべたように,「善の知」の「知」が徳―本篇の場合では「克己節制 (思慮の健全さ)」の徳―の根底に要請されているという事実である。(解説)

メモは以上。「克己節制 (思慮の健全さ)」というテーマは興味深く,結論は (いつも通り?) 得られませんでしたが,対話のやり取り等も含めて面白い対話篇だったと思います。
次回は『ラケス』の予定。