プラトン『国家』第五巻メモ(3)

プラトン『国家』((プラトン全集 (岩波) 第11巻,岩波文庫『国家』(上)) 第五巻を読んだときのメモ第3弾。

『国家』第五巻は「3つの大浪」とたとえられるソクラテスの説が披露され,メモ(1)と(2)で最初の2つの部分を取り上げたのですが,本メモ(3)は最大の大浪で,いわゆる「哲人王」「哲人政治論」と言われるものです。
『国家』の内容を紹介するときに,恐らく,序盤のトラシュマコスの激しい肉薄や,後半の「洞窟の比喩」などイデア論を譬えた比喩を抑えて,第1位に挙げられるのがこの「哲人王」の部分ではないでしょうか?確かにその内容は一見して分かりやすく印象的です。
また,前半では「実践は言論より真理に触れることが少ない」といった,常に理想というものを視界にとらえるプラトンらしい命題が言われ印象的です。また哲人政治について述べた後に,ではその哲学者とは一体どういう人なのか,ということも論じられます。ここもかなり重要なことが言われていると思います。最後に,「知識」と「思わく」の違いについても出てきます。

「と にかく,こういう国制がもし実現したとすれば,こういったすべての善い点や,ほかにもまだ無数の長所があるということは認めますから,もうこれ以上,制度そのもののことは話していただかなくても結構です。いまやわれわれは,肝心かなめの点を,すなわち,それが実現可能であるということ自体を,またいかにして実現可能であるかということを,われわれ自身に納得させるように努めるべきときです。そのほかのことについては,これで話を打ち切ることにしましょう」
「これはまた突然に」とぼくは言った,「ぼくの話に向かって襲撃をかけてきたね。ぼくがぐずぐずと引き延ばしているのを,容赦しないというのだね。おそらく君は,先の二つの大浪をぼくがやっとのことで逃れたところへ,君がいま差し向けてよこしたこの第三の浪こそ,三つのうちで最も大きく,最も厄介な大浪だということを,わかってくれていないのだろう。それがどんなものかを実際に見聞きしたなら,君はきっと,大いに寛大になってくれるだろう,―なるほど,これほど常識はずれの言説なら,ぼくがそれを口外して検討を試みるのを恐れてためらっていたのは,無理ではないとね」(471E)

ということで,メモ(2) の最後で急かされたように,ではどうすればそういう国家が実現できるのか?ということを語らされることになります。ソクラテスは,さきの2つの大浪よりも衝撃的な内容であることを予め印象付けます。

「いや, べつに。ただ,君にききたいのだが,もしわれわれが<正義>とはどのようなものかを発見したとした場合,われわれは,正しい人間というのもま た,<正義>そのものと少しも異なっていてはならぬ,あらゆる点でその<正義>の理想そのままでなければならぬ,というふうに要求するだろうか?それとも,できるだけそれに近い人間であって,他の誰よりも<正義>を分けもっているならば,それでよしとするだろうか?」
「そうです」と彼は答えた,「それでよしとするでしょう」
「とすれば」とぼくは言った,「われわれがこれまで,<正義>とはそれ自体としていかなるものであるか,また完全に正しい人間がもしいたとしたら,その場合それはどのような人間であるかを探求してきたのは,模範となるものを求める意味においてだったのだ。そして,<不正>や最も不正な人間のほうについても同様である。つまりそれは,そういう模範としての人間に着目して,彼らが幸・不幸に関してどのようなあり方を示すかをしらべ,それをわれわれ自身にも当てはめてみて,そういう人間に最もよく似た者はまた最もよく似た運命をもつであろうということに,同意せざるをえないようにするためだったので。われわれの目的はけっして,そのような模範が現実に存在しうるということを証明することではなかった」(472B)

…微妙に言い訳っぽい感じがしないでもないのですが,理想と現実が違うとしても理想が色あせるわけではないぞと。次に続きます。

「それなら,かりにわれわれが,語られたとおりに国家を統治することが実際に可能であるということを証明できないからといって,われわれの語った事柄がそれだけ価値を失うと思うかね?」
「けっしてそうは思いません」と彼。
「では,それが真実だと承知したまえ」とぼくは言った,「しかしながら,もしこのうえさらに君を満足させるために,この国家はどのようにすれば最もよく実現され,どのような条件のもとで最も可能であるかを証明することに努力しなければならないとすれば,そのような証明のために,もう一度同じ事を確認しておいてもらいたいのだ」
「どのようなことを?」
「いったい,言葉で語られるとおりの事柄が,そのまま行為のうちに実現されるということは,可能であろうか?むしろ,実践は言論よりも真理に触れることが少ないというのが,本来のあり方ではないだろうか?人はそう思わないかもしれない。しかし君は,これに同意するかね,しないかね?」
「同意します」と彼は答えた。
「それでは,われわれが言葉によって述べたとおりの事柄が,実際においても,何から何まで完全に行なわれうるということを示さなければならぬと,ぼくに無 理強いしないでくれたまえ。むしろ,どのようにすれば国家が,われわれの記述にできるだけ近い仕方で治められうるかを発見したならば,それでわれわれは, 事の実現可能性を見出して君の要求にこたえたことになるのだと,認めてくれたまえ。それとも,それだけの成果ではまだ不服かね?ぼくとしては満足できるのだが」
「ええ,わたしも同じです」と彼は答えた。(472E)

この内容も前の言葉に続くもので,国家についても今まで語られたことが実現できると証明できなくてもやむを得ない,寧ろ実現できなくても言論のほうが真理に近いと。
実現可能かどうかはまずは考えずに,理想の国家を打ち立てて,現実のほうをそこに近づけていく…というのは個人的には共感したい部分です。が,実際はどうかというと,例えばそういう姿勢がソフトウェア開発の世界では失敗しがちな事例が多いと思います。

また全く別の観点からいうと,プラトンのいう言論というのはやはり数学的だ,という思いがします。プラトンの理想というものは,数学では極限が表現できるのと似ているのかもしれません。例えば f(x) = log x は,x → ∞ のとき,f(x) → ∞ になりますが,log の増加率というのは非常に鈍くて f(1000000) でもたったの 6 です (底を 10 として)。それでも数学的には x → ∞ のとき,log x → ∞ で,これは「真理」です。
「実践は言論よりも真理に触れることが少ない」というのは,f(x) が ∞ になるような x は実感できないのが現実,というような感じともいえると思います。そしてプラトンは,数学という抽象化された世界と同様に,正義などの徳についても,x → ∞ に相当するような言論を立てようとしていた,という見方もできるかもしれません。数学の例えは不遜なのでここでやめますが,次の「哲人王」についてもこういう見方はありうるかもしれません。

「さあ,とうとう」とぼくは言った,「われわれが最大の浪にたと えていたものに,ぼくは直面するときがきた。だがとにかく,それは語られなければならぬ。たとえそれが,文字どおり笑いの大浪のように,嘲笑と軽蔑でぼくを 押し流してしまうことになろうとも。―では,これから言うことを,しらべてくれたまえ」
「言ってください」と彼はうながした。
「哲学者たちが国々において王となって統治するのでないかぎり」とぼくは言った,「あるいは,現在王と呼ばれ,権力者と呼ばれている人たちが,真実にかつじゅうぶんに哲学するのでないかぎり,すなわち,政治的権力と哲学的精神とが一体化されて,多くの人々の素質が,現在のようにこの二つのどちらかの方向へ別々に進むのを強制的に禁止されるのでないかぎり,親愛なるグラウコンよ,国々にとって不幸のやむときはないし,また人類にとっても同様だとぼくは思う。 さらに,われわれが議論のうえで述べてきたような国制のあり方にしても,このことが果されないうちは,可能なかぎり実現されて日の光を見るということは, けっしてないだろう。
さあ,これがずっと前から,口にするのをぼくにためらわせていたことなのだ。世にも常識はずれなことが語られることになるだろうと,目に見えていたのでね。実際,国家のあり方としては,こうする以外には,個人生活においても公共の生活においても,幸福をもたらす途はありえないということを洞察するのは, むずかしいことだからね」(473C)

ここが,『国家』の最大のターニングポイントたる「哲人王」の記述のコアな部分だと思います。相当躊躇したあとにソクラテスの口からやっと出てきますが,内容自体は割とさらっと簡潔に語られます。
メモ(1) で,これは『国家』をここまで読んだ人へのご褒美だ,と書きましたが,単にここだけを読むのと,ここまでのソクラテスやグラウコン,アデイマントス,トラシュマコスたちの腐心を経てここまで辿り着いて読むのとでは違うでしょう。というか自分の場合は,「まあ普通じゃん」というような感じでした。この感じ方自体は普通ではない可能性はありますが(笑),でも何の突拍子もなく出てきたというより,他の対話篇を含めてプラトンがソクラテスに語らせてきたことがエッセンスとして凝縮されてきたという印象です。なので説明は不要という感じです。

ただ,以下に哲学者の定義も出てきますが,ここで言われている哲学者というのが,「いわゆる哲学者」ではないと考えられる,ということは念頭に置く必要があるように思います。「いわゆる哲学者」というのは今の少なくとも日本で哲学者と言った場合に認識される哲学者という意味です。はっきりいって何の役にも立たないことを考えている連中だと思われていると思います(笑)。あるいは「哲学」という学問に通じているとか,概念を系統立てて整理するとか,そういうイメージはあると思います。
ある意味では当たり前すぎる話ですが,プラトンが著した当時は学問としての「哲学」なんてなく,寧ろ (今で言う) 科学ともかなりごっちゃになっていたと思います。また,対話篇を読んでいても分かる通り,プラトンには何か統一的な概念を整理したいという意志があったとも思えません。ただソクラテスのように,物質的/経済的な利得ではなく,常に「善」なり「正義」なり (勿論それらの「イデア」といってもいいと思います) を追求し続ける人,という感じではないでしょうか。
極論すれば,「哲人王」論というのは,トートロジという気もするほどです。プラトンの言う哲学者は,ソクラテスのような,プラトンの理想とする考えを持った人間というようにも読めなくはないからです。だから象徴的ではありますが,他の対話篇も読んできた身からすると「普通じゃん」となるわけです。

「ソクラテス,何という言葉,何という説を,あなたは公表されたのでしょう!そんなことを口にされたからには,御覚悟くださいよ。いまやたちまち,あなたに向かって非常にたくさんの,しかもけっしてばかにならぬ連中が,いわば上着をかなぐり捨てて裸にな り,手あたりしだいの武器をつかんで,ひどい目にあわせてやるぞとばかり,血相かえて押し寄せてきますからね。その連中を言論によって防いで,攻撃を脱れるのでなければ,あなたはほんとうになぶりものにされて,思い知らされることになりますよ」
「そういうことになったのも」とぼくは答えた,「もとはといえば,君のせいではないのかね?」(473E)

ここまで恫喝っぽい表現もあんまりないと思いますが(笑),それだけ当時としてもこの説が異端であると思われる背景があったことを示しています。ソクラテスのとぼけ方は少し面白いところです。

「さ て,そこで思うのだが,もしわれわれが君の言うような連中の攻撃を何とか脱れようとするなら,哲学者たちこそが支配の任に当るべきだとわれわれがあえて主張する場合,われわれが<哲学者>と言うのはどのような人間のことなのかを,彼らに向かって正確に規定してやらねばなるまい。それがはっきり すれば,ある人々は生まれつき哲学にたずさわるとともに国の指導者になるのが適しているが,他の人々は哲学にたずさわることもなく指導者に従うのが適しているという事実を指摘することによって,われわれの立場を防禦することができようからね」(474B)

当然の流れですが,ここで哲学者を定義しようとします。

「では,次のことを肯定するか否定するかしてくれたまえ―ある人をあるものの欲求者であるとわれわれが言う場合,その人は,その欲求の対象の全部の種類を要求していると言うべきだろうか,それとも,ある種のものは欲求するが,ある種のものは欲求しないと言うべきだろうか」
「全部の種類を欲求していると言うべきです」
「では哲学者 (愛知者) もまた,知恵を欲求する者として,ある種の知恵は欲求するがある種の知恵は欲求しないと言うのではなく,どんな知恵でもすべて欲求する人である,と言うべきだろうね?」
「そのとおりです」(475B)

哲学者は,「特定の知恵ではなくどんな知恵でもすべて欲求する人」であると。

「これに反して,どんな学問でも選り好みせずに味わい知ろうとする者,喜んで学習に赴いて飽くことを知らない者は,これこそまさに,われわれが哲学者 (愛知者) であると主張してしかるべき者である。そうではないかね?」(475C)

この少し前に,学習について好き嫌いを言うものは「食物について好き嫌いを言うような者」というたとえもありました。

「そ うなりますと,たくさんの妙な連中があなたの言われた条件にかなう者だということになるでしょう。というのは,見物の好きな連中はみな,学ぶことに喜びを 感じるからこそ,見物好きであるのだと私は思いますし,また,聞くことを好む連中にしても,哲学者のうちに数えられるにしては,何かあまりにも奇妙すぎる人たちですからね。何しろ彼らは,哲学的な議論やそれに類する談論には,けっして自分からすすんで赴こうとはしないのに,合唱隊の歌を聴くことになると, まるで自分の耳を賃貸して,ありとあらゆる合唱隊を聞くことを契約してあるかのように,ディアニュシア祭のときなど,あちこちと駆けずりまわって,町で催される公演も村で催される公園も,一つ残らず聞きのがさないようにするのですからね。(475D)」

このグラウコンの指摘は私もそう思いました。知恵を欲求する人,学ぶことが好きな人はだれでも哲学者なのかと。

「では,真の哲学者とは」と彼はたずねた,「どのような人だと言われるのですか?」
「真実を観ることを」とぼくは答えた,「愛する人たちだ」(475E)

このソクラテスの答えは,噛み締めるしかありません。僕自身は,この答えで竹を割るように納得しました。哲人政治論よりもここのほうが重要でしょう。

「そ して,<正>と<不正>,<善>と<悪>,およびすべての実相 (エイドス) についても,同じことが言える。すなわち,それぞれは,それ自体としては一つのものであるけれども,いろいろの行為と結びつき,物体と結びつき,相互に結びつき合って,いたるところにその姿を現わすために,それぞれが多 (多くのもの) として現われるのだ。」(476A)

これはイデア論の説明と見ることができるのでしょう。が,イデア論云々はどうでもよく,「それ自体」というのがあり,それが姿を現したものもある,というのがここでは分かります。

「一方の人たちは」とぼくは言った,「つまり,いろいろのものを聞いたり見たりすることの好きな人たちは,美しい声とか,美しい色とか,美しい形とか,またすべてこの種のものによって形づくられた作品に愛着を寄せるけれども,<美>そのものの本性を見きわめてこれに愛着を寄せるということは,彼らの精神にはできないのだ」(476B)

この辺りは『饗宴』とも関係してきそうな内容ですが,「そのもの」ではなくてそれが現実に姿を映したもののみに愛着を寄せる人,「そのもの」を認められない者 (は,哲学者ではない) というのを言っています。
少し後に言われることですが,この人たちのことを,「知識」ではなく「思わく」を持つ者,であると語られます。

「ではどうだろう。いま言った人たちとは反対に,<美>そのものが確在することを信 じ, それ自体と,それを分けもっているものとを,ともに観てとる能力をもっていて,分けもっているもののほうを,元のもの自体であると考えたり,逆に元のもの自体を,それを分けもっているものであると考えたりしないような人,このような人のほうは,目を覚まして生きていると思うかね,夢を見ながら生きていると 思うかね?」
「まさに,はっきりと目を覚まして生きていると思います」(476C)

「そのもの」を観てとる能力がある人が,哲学者である,ということになります。
何となく仕事などでも実感する部分です。個別の細かい作業の手順を知っていることと,業務の本質を見抜いていることの違いに似ていると思いました。細かい作業手順を知っていても応用はできませんが,本質を見抜いていれば何かあっても即座に最善の対応ができるでしょう。

「では,ここにわれわれは,一つの論点を確立したことになるのではないか?この論点は,もっといろいろの仕方で考察したとしても揺がぬだろう。すなわちそれは,完全にあるものは完全に知られうるものであり,他方,まったくあらぬものはまったく知られえないものである,ということだ」(477A)

突然「ある」「あらぬ」といった話が出てきますが,これは<知識>と<思わく>の区別と連動しています。以下少し飛ばします。

「そうすると,<あるも の> には<知識>が対応し,他方,<無知>は必然的に<あらぬもの>に対応するのであれば,いま言われた中間的なものに対応するものとしては,<知識>と<無知>との,やはり中間にあるようなものを,求めなければならないのではないか―もしそのよ うなものがあるとすれば」(477A)

「ところで君は,少し前に,<知識>と<思わく>とは同一のものではないと認めていた」
「じっさい」と彼は言った,「誤ることのないものが,誤ることのあるものと同一のものであるなどと,いやしくも理をわきまえた人ならば,どうして考えることができましょう」
「うまい!」とぼくは言った,「では,<思わく>は<知識>とは別のものだということについて,われわれの間の意見の一致は明らかなわけだ」
「別のものです」(477E)

「すると<思わく>は,この両者の外にあるものだろうか?つまり,明確さにおいて<知>を超えるものであったり,あるいは,不明さの点で<無知>を超えるものであったりするのだろうか?」
「そのどちらでもありません」
「そうではなくて」とぼくは言った,「<思わく>は,<知>とくらべれば暗く,<無知>とくらべれば明るいものなのだと,そういうふうに君には思えるのだろうね?」
「まさにそのとおりです」と彼。
「両方の極の内に位置づけられるのだね?」
「ええ」
「そうすると<思わく>は,両者の中間的なものだということになるだろう」(478C)

ということで,<無知> (あらぬもの) というものが 0 で,<知> (あるもの) というものが 1 で,思わくというものはこの線分上の開区間のどこかにあるものである,というような意味のことが言われます。また,途中で知識というものは誤ることがないが,思わくというものは誤ることがある,ということも言われています。
「知識」と「思わく」については,『メノン』で,目的地に到達するまでの道を実際に歩いたことがあって「知っている」ことと,聞いたりして一応到達できそうという「思わく」,という例があったのを思い出しました。

「では,これだけの前提をもとに,あの有能な男―<美>そのものを認めず,恒常不変に同一のあり方を保つ<美>の実相 (イデア) というものがあることをまったく信じないで,多くの美しいものだけを認める男―あの男をして語らせ,答えしめよ,とぼくが言おう。それはさっきの見物好きの男,<美>や<正>やその他のものが一つであると人が言っても,けっして受けつけようとしない,あの男のことだ。
『君よ』とわれわれはこの男に言うだろう,『君の言うそれら多くの美しいもののなかに,醜く現われることのけっしてないようなものが,はたして一つでもあるだろうか?数々の正しいもののなかに,けっして不正に見えることのないようなものが,一つでもあるだろうか?数々の敬虔なもののなかに,けっして不敬虔に見えることのないようなものが,一つでもあるだろうか?』」
「いいえ」とグラウコンは言った,「それらのものは,必ずや,何らかの仕方で美しくあるようにも醜くあるようにも現われるものです。おたずねの他のすべてのものについても,そのことは不可避です」
「では,多くの二倍の分量のものはどうだろう?それらは,二倍のものであるとともに半分のものであるとも見なされることは,絶対にないだろうか?」
「いいえ」(479A)

「見物好きの男」が認めるのは,相対的なものであるようです。この手の議論はよくプラトン対話篇に出てきますね。

「したがって,多くの美しいものは見るけれども<美>そのものを観得することなく,他の者がそこまで導こうとしてもついて行くことのできない人たち,また,多くの正しいものは見るけれども<正>そのものを観得しない人たち,その他すべてにつけて同様の人たち―このような人たちは,万事を思わくしているだけであって,自分たちが思わくしているものを何ひとつ,ほんとうに知ってはいないのだと,そうわれわれは主張すべきだろう」(479E)

自分はどうなのだろう?と思わずにはいられない部分です。というより「そのものを観得する」ことは,目指すべきですが,「実践は言論より真理に触れることが少ない」ので現実には無理ということかもしれません。

「では,そのような人々は<愛知者>(哲学者) であるよりは <思わく愛好者> であると呼んだとしても,われわれはそれほど奇妙な言葉遣いをしたことにならないだろうね?そんな言い方をしたら,彼らはわれわれに対して,ひどく腹を立てるだろうか?」
「いいえ―彼らが私の言うことに従ってくれさえすればね」とグラウコンは言った,「真実のことに対して腹を立てるのは,許されないことですから」
「そうすると,それぞれのものについて,それ自体としてあるところのものに愛着を寄せる人々こそは,<思わく愛好者>ではなく,まさに<愛知者>(哲学者) と呼ばれるべき人々だということになるね?」
「まさしく,そのとおりです」(480A)

ということで,「哲人王」説の「哲学者」とはどういった人物であるべきか,という結論が得られました。ここで第五巻は終わりになります。

ようやく,『国家』も半分まで来ました。ターニングポイントにふさわしく,第五巻は3つの大浪というそれぞれ衝撃的な内容の説が語られ,面白かったと思います。

プラトン『国家』第五巻メモ(2)

プラトン『国家』((プラトン全集 (岩波) 第11巻) 第五巻を読んだときのメモ第2弾。

「これらの女たちのすべては,これらの男たちすべての共有であり,誰か一人の女が一人の男と私的に同棲することは,いかな る者もこれをしてはならないこと。さらに子供たちもまた共有されるべきであり,親が自分の子を知ることも,子が親を知ることも許されないこと,というの だ」
「これはまた」と彼は言った,「その可能性も有益性も容易には信じられないということにかけて,さっきのよりもはるかに大きな浪ですね」(457C)

ということで,第1弾冒頭で予告した通り,本メモは第2の大浪である,妻子の共有の問題について話題にする部分がメインです。
こ れは相当とんでもない説が出てきたなという感じですが,グラウコンの反応の描き方で,当時でも信じがたい説であったということが分かります。ここに限った ことではないのですが,プラトン自身も相当抵抗があったはずの説が,対話篇という形では,ソクラテスの逡巡やソクラテスの対話相手の反応でそれを示すこと ができたというのは非常に意味があるなと思います。単なる論文形式だとしたら,自説を何の感情の起伏もなく述べるだけで終わりでしょう。
そして,ただとんでもないと一蹴してしまうには,自分はプラトンを信頼しすぎています。この説も,他の対話篇も含めてプラトンが追求してきた「真実」「善」「徳」というようなものの,1つの表象であると考えるべきである,と思います。
つまりこの説自体には,現代の視点からは見るべきものがないとしても,プラトンが唱えたというそのことに,プラトンが何を見出したのかということに,つまりその「イデア」に,思いを致すことに意味はあるでしょう。そしてそこからこの説を演繹しない現代というものを考えることも,何がしかの意味がありそうです。

「そ れでは,立法者としての君は」とぼくはつづけた,「男たちを選び出したのと同じようにして,できるだけこれと同じ素質の女たちを選び出して,彼らに引き渡 すだろう。そして,これらの男女は,家も食事も共同で,私的には誰もその種のものを何ひとつ所有していないのだから,みなが同じところでいっしょに暮すこ とになり,体育のときにもその他の教育を受けるときにも,いっしょに混じってやっているうちに,思うに,あの自然から与えられた必然性に導かれて,やがて 互いに結ばれるに至るだろう。―それとも君には,ぼくの言っていることが必然的な成行きだとは思えないかね?」
「ええ,それは幾何学的な必然性ではなく,恋の力がもつ必然性のしからしめるところですね」と彼は言った,「おそらくこの必然性のほうがもうひとつのよりも,多くの人々を説得して引っぱって行くことにかけては,より鋭い力をもっているでしょう」(458C)

この「必然的な成行き」はその通りだと思いますが,たまに思いますがプラトンはこういった自然というか慣性的なもののほうを恃んで,人の感情にはあまり信頼を置かないのかなという気もします。プラトンがというより,国の支配者がそうあるべきと考えているということかもしれません。

「ほ かでもない,彼ら支配者たちは」とぼくは答えた,「医者の場合でも,薬を必要とせずに養生法だけで治ってしまうような身体を扱う場合なら,それほど大した 医者でなくても間に合うとわれわれは考える。けれども,薬を与えなければならない場合になると,もっと勇気のある医者が必要であることをわれわれは知って いる」
「そのとおりでしょう。しかし,それでどうだと言われるのですか?」
「こういうことだ」とぼくは言った,「おそらくわれわれの国の支配者たちは,支配される者たちの利益のために,かなりしばしば偽りや欺きを用いなければならなくなるだろう。われわれはたしか,すべてそうした手段は,いわば薬として役立つものであると言ったはずだ」
「ええ,そしてそれには正しい理由がありました」と彼は言った。
「そこで,いま問題の結婚と子づくりにおいては,君が正しいと言うそのことが,どうやら,少なからず役割を果すことになるだろう」
「どのように,でしょうか?」
「これまでに同意された事柄からして」とぼくは答えた,「最もすぐれた男たちは最もすぐれた女たちと,できるだけしばしば交わらなければならないし,最も 劣った男たちと最も劣った女たちは,その逆でなければならない。また一方から生まれた子供たちは育て,他方の子供たちは育ててはならない。もしこの羊の群 が,できるだけ優秀なままであるべきならばね。そしてすべてこうしたことは,支配者たち自身以外には気づかれないように行なわれなければならない―もし守 護者たちの群がまた,できるだけ仲間割れしないように計らおうとするならば」(459C)

優れた人間を生ませるために,支配者 (≒国家) が結婚するカップルを取捨選択する,それは誰にも気づかれずに行なわれるべき,という恐ろしい考えです。この前後でも動物に譬えていますが,まさに人格というものを全く考えていません。しかしそれは逆に考えると,人格というものを考えなければ確かに最強じゃない?という気がしないでもありません。そしてプラトンは,そこまでして国を守る人間を育てなければならないと考えていたということかもしれません。
僕自身も一般化して考えがちなのですが,一応ここでソクラテスが言っているのは守護者が対象です。

「さらにまた若者たちのなかで,戦争その他の機会 にすぐれた働きを示す者たちには,他のさまざまの恩恵や褒賞とともに,とくに婦人たちと共寝する許しを,他の者よりも多く与えなければならない。同時にま たそのことにかこつけて,できるだけたくさんの子種がそのような人々からつくられるようにするためにもね」(460B)

なんかこの辺りは,男の視点であり,メモ(1)で述べられた男女の平等性の話はどこに行ったのか?と思わないでもありません。

「で,ぼくの思うに は,すぐれた人々の子供は,その役職の者たちがこれを受け取って囲い (保育所) へ運び,国の一隅に隔離されて住んでいる保母たちの手に委ねるだろう。他方,劣った者たちの子供や,また他方の者たちの子で欠陥児が生まれた場合には,これをしかるべき仕方で秘密のうちにかくし去ってしまうだろう」
「守護者たちの種族が,純粋のまま維持されるべきでしたらね」と彼は言った。(460C)

この劣った者や欠陥児についての言葉も,そうしたらどうなるのだろう?という人の心の奥底にくすぶっている思いを顕わにしている感があります。ソクラテスの言葉には打算がありませんが,同時に綺麗事というものもなく,劣った者に対しては時にかくも残酷な言葉が発せられることがあります。そしてグラウコンの突っ込みというかフォローがそれを正当化するというか,一見マイルドに見せる効果がある気がします。

「それもまた,たしかに適切な措置には違いありません」と彼は言った,「しかし,いったい彼らは,お互いの父たちや娘たちや,その他いまおっしゃったような親族を,どのようにして識別することになるのでしょうか?」
「まったく識別できないだろう」とぼくは言った,「しかし,彼らのうちのある者が花婿になった日から10ヶ月目,また場合によっては7ヶ月目に生まれた子 供たちがあれば,その人はその子供たちすべてを,男の子なら息子とよび,女の子なら娘と呼ぶだろうし,また子供たちのほうは彼を父と呼ぶことになるだろ う。同様にして,彼はこれらの子供の子供たちをすべて孫と呼び,逆に後者は前者を祖父や祖母と呼ぶだろう。他方また,自分の父親たちと母親たちが子をもう けていた期間に生まれた子供たちはすべて,お互いを兄弟と呼び姉妹と呼ぶだろう。したがって,いまわれわれが言っていたように,これらの者はお互いに関係 をもっていはいけないことになるのだ。ただし,兄弟たちと姉妹たちが一緒になることは,もし籤がそのように出て,さらにピュティア (デルポイ) の神託がそれをよしと告げるならば,法によって許されるだろう」
「おっしゃることはまったく正しいことです」と彼は言った。(461C)

ここで子供たちがどう共有されるのかということが言われます。同じ時期に生まれた子供は,皆兄弟で親にとっては皆息子/娘ということになります。というより自分の本当の親さえ識別できないといいます。

「では,楽しみと苦しみが共にされて,できるかぎりすべての国民が得失に関して同じことを等しく喜び,同じことを等しく悲しむような場合,この苦楽の共有は,国を結合させるのではないかね?」
「まったくそのとおりです」と彼。
「これに反して,そのような苦楽が個人的なものになって,国ないしは国民に起っている状態に対して,ある人々はそれを非常に悲しみ,ある人々はそれを非常に喜ぶような場合,この苦楽の私有化は,国を分裂させるのではないかね?」(462B)

これはまあ確かにその通りだと思います。家族とか仲間内を想像すれば言うまでもないことで,その延長が国家と考えれば分かりやすいです。そして現代は後半のケースになってきているとも思います。

「そ うするとまた,一人の人間のあり方に最も近い状態にある国家が,そうだということにもなるわけだね。―たとえば,われわれの一人が指を打たれたとする。そ のとき,身体中に行きわたって魂にまで届き,その内なる支配者のもとに一つの組織をかたちづくっている共同体が,全体としてそれを感知して,痛められたの は一つの部分だけであるのに,全体がこぞって同時にその痛みを共にする。そしてこのようにしてわれわれは,その人が指を痛めている,と言うことになるの だ。同じことは,人間の他のどの部分についてもいえるだろうね。一部分が痛んでいるときの苦しみについても,それが楽になるときの快さについても」
「ええ,同じことがいえます」と彼は言った,「そしておたずねの点については,最もよく治められている国家は,そのような一人の人間のあり方に最も近いものであるといえます」(462C)

さらに個人の場合まで遡って考えています。そもそも個人の正義∽国家の正義,という仮定が『国家』にはあります。

「それはつまり,『身内の者』は自分に所属している者であり,『よそ者』は自分に所属していない者であるとみなして,そう呼んでいるわけだね?」
「そのとおりです」
「では,君のところの守護者たちはどうかね?その誰かが守護者仲間の誰かをよそ者とみなしたり,そう呼んだりすることがありうるだろうか?」
「けっしてありえません」と彼は言った,「というのは,およそ誰と出会っても,兄弟や姉妹や,父や母や,息子や娘や,あるいはそのまた子供たちや親と出会ったものと考えるでしょうからね」
「ほんとうだ!よく言ってくれた」とぼくは言った。(463C)

ということで,先ほど「家族や仲間内の延長が国家と考えれば…」と書きましたが,妻子の共有というのは譬えではなく本当に家族の延長を国家としようという発想だといえます。
しかし世の中,家族だってそんなに仲がいい家族ばかりではないし,逆に家族だから許せないこともあるでしょう。家族の中で少しでも不穏な関係があると家族全体の雰囲気が悪くなったりすると思うので,いわんやこういう形で子供を共有したりしても,それで結束が固まるのかどうかは何とも言えない気がします。

「してみると,およそあらゆる国々にもまして,この国では,誰か一人が幸福であったり不幸であったりするとき,みなが一致して同じように,さっきわれわれが言っていた言い方で,私のことがうまく行っているとか,私のことがうまく行っていないとか言うだろうね?」
「その点も,まったくおっしゃるとおりです」と彼。(463E)
「ところで,こうしたことがどこから由来しているかといえば,ほかの制度もさることながら,とくに守護者たちの間で妻女と子供が共有されているからではないかね?」(464A)

…国民皆が一致して喜んだり悲しんだりするというのは,前にも書きましたが微妙に北朝鮮のような国を連想するんですよね…。勿論プラトンが目指している国家は独裁とは正反対の国制であって,あのようになるわけではないはずですが。

「そうすると,人々を助け護る任にある者たちの間での,子供と妻女の共有ということは,国家にとって最大の善をもたらす原因であると,われわれに明らかになったわけだ」
「ええ,間違いなく」と彼。
「さらにまたわれわれは,以前に述べた諸点とも一致整合していることになる。なぜなら,われわれはたしか,このように言っていたはずだから。―この人たち は家も土地もどんな持ちものも,いっさい自分だけのものとして私有してはならない,国を守る仕事の報酬として他の人々から暮しの糧を受け取って,みなで共 通に消費しなければならない,もし彼らが真の意味で守護者であろうとするならば,とね」(464B)

確かに後半の話は,以前話していた,報酬や土地の私有の禁止の延長線上で,子供と妻女も私有しないということが言われていると考えることもできる,と思いました。私有でないなら,(ここでの流れでは)国家による共有ということになります。

「で はどうだろう。お互いに対する裁判ごとや訴訟ごとは,彼らの間からいわば消え去ってしまうのではなかろうか―何しろ自分だけの所有物というのは身体一つだ けで,その他のものはみな共有なのだからね。このことからして,彼らは,人間たちが金銭や子供や親族を所有することによって起すいっさいの争いごととは, 縁のない者たちとなるのではないかね?」
「必ずや,そうしたことから解放されるはずです」と彼は言った。
「さらにはまた,暴行を受けたとか危害を加えられたとかいって裁判沙汰を起すことも,彼らの間では正当にはなされえないことなるだろう。なぜなら,同年輩 の者に対しては自分で身を守るのが立派で正しいことであるとわれわれは言って,自分の身体の保護を義務づけるだろうからね」(464D)

自分の身体以外のものは皆共有なので,争いが起こらないはずだと。
ところで,この共有ということをまさに共産主義というのかもしれません。というか正直読みながら「共産主義」「社会主義」という言葉はよく頭を掠めます。しかし現代の所謂共産(社会)主義という枠組みをプラトンの著書に当てはめる (そして切り捨てる) ことに意味があるとは思えません。いわんや,趣味として読んでいる身としてはなおさらです。

「そ れでは,憶えているかね?」とぼくは言った,「前の議論のなかで,あれは誰が論じたことだったか,われわれはこんなふうに言われて叱られたことがあった― われわれはいっこうに国の守護者たちを幸福にしていない,この守護者たちは国民のものすべてを所有できる立場にあるのに,何ひとつ持っていないのだから, とね。これに対してわれわれは,たしかこう答えたはずだ―その点はまたいずれ機会があれば,あらためて考察することになるだろう。いまわれわれは,守護者 たちをまさに守護者たらしめ,国家をできるかぎり最も幸福な国家たらしめることに専念しているところであって,国のなかの一つの階層にだけ目を向けて,こ れを幸福にしようとしているのではないのだ,と」
「憶えています」と彼。
「それならどうだろう,いまやわれわれには,国民を助け守る任にあるこれらの人々の生活は,いやしくもオリュンピア競技の勝者の生活よりも,はるかに立派 ですぐれていることが明らかになっている以上,よもや靴作りたちあるいはその他の職人たちの生活や,農夫たちの生活と比較してみる必要があるとは思われな いだろうね?」(465E)

前半のことは,丁度第四巻メモ(1)でアデイマントスが問うたことでした。その後で,妻子等の共有という話が加わったわけですが,それでもどういう論理でここで改めて守護者の生活が立派だと言っているのか,なかなか普通の感覚では理解しづらいです。
多分,個人の物理的あるいは経済的な利益を超越して,自分のものはすべて国家のものであり,本当に国家の幸福が自分の幸福であるというそれだけを考えないと,そういう境地に達しないのかもしれません。

「それなら君は」とぼくは言った,「賛成してくれるのだね―女たちがわれわれの述べたような仕方で,教育や子供 たちのことや他の国民たちを守護する仕事において,男たちと共同で事に当るということに?そして国に留まりまた戦争に赴いては,ちょうど犬たちのように, 共に国を守護し敵を追うことのほか,できるかぎりあらゆる仕事をあらゆる仕方で共に分担しなければならないということに?のみならずまた,そのようにする ことは最善のことをすることになるだろうし,女性が男性に対してもっている自然本来のあり方,すなわち,両性は本来お互いに共同するように生まれついてい るというそのあり方に,反することにもならないということにも,賛成してくれるのだね?」(466C)

これはどちらかといえばメモ(1)の部分のテーマのまとめのようなものになっています。

「ではどうかね,もし何らかの場合に危険を冒さなければならないのであれば,うまく危険を突破したときに彼らがよりすぐれた人間になるような機会においてこそ,そうしなければならないのではないか」(467B)

これはどんな時に息子を戦争に出すのか,という話の中の一節です。この辺りは割と日本の戦国時代とかに実際にありえた問題だろうなと思いました。

「しかし,きっとこのことになると」とぼくは言った,「君は賛成しないだろうな」
「どんなことですか?」
「ひとりひとりと口づけしたり,されたりすることだ」
「何にもましてそうしなければなりません」と彼は答えた,「そればかりか,私はそのことを規定した法に,次の一項をつけ加えます,―人々がその戦いに出征 している間は,何びともその勇士から口づけしたいと望まれたら,それを拒むことはできないとね。そうすればまた,もしたまたま誰かが,相手が男性であれ女 性であれ誰かを恋している場合,この武功の褒美をかちとることにいっそう熱心にはげむでしょうからね」
「それはすばらしい!」とぼくは言った,「じっさい,すぐれた人間に対しては,そのような人からできるだけ多くの子供が生まれるようにするために,ほかの 者よりも多く結婚の機会が与えられ,そのような人たちがそのために選択される機会は他の者よりも多いだろうということが,すでに言われたことでもあるし ね」(468B)

一応印象的だったのでメモを取ったのだと思いますが,なんかいちいちコメントをつけるのがバカらしくなってきました(笑)。

「ではこの点はどうだろう」とぼくは言った,「戦いに勝ったとき,死んだ者たちから武器以外のものを剥ぎ取るということ は,はたして立派な行為だろうか?そんなことは臆病者たちに対して,死者のまわりをうろつきながら何か必要な仕事をしているかのようなそぶりをさせて,げ んに戦っている敵に立ち向かって行かない口実を与えるものではあるまいか?そしてそのような掠奪のために,これまですでに多くの軍隊が滅んだのではないか ね?」
「ええ,たしかに」
「それにしても屍体から剥ぎ取るとは,卑しくもまた貪欲なことだとは思わないかね?真の敵はもはや飛び去って,戦うのに用いたものを後に残しているだけな のに,その死者の身体を敵とみなすとは,女々しくもまた狭小な精神のすることではないかね?それとも君には,そんなことをする者たちは,自分に投げられた 石に怒って,投げている人には構わない犬たちと,少しでも違ったことをしていると思えるかね?」(469C)

プラトンに,戦争の場面の具体的な描写というものは少ないと思いますが,ここでは敵の戦死者から武具を剥ぎ取ることを痛烈に批判しています。これは少し安心するところです。
そういえば『楊令伝』に,確か武松と李逵だったと思いますが,守りの戦で,倒した敵軍の死体を敵の進軍路に手厚く葬ったところ,敵軍は味方が埋まっている場所は通れないと,攻めに適したその道をあえて迂回して攻めて来たというのがあったのを思い出しました。

「それでは次のことを考えてみ たまえ」とぼくは言った,「現在一般に認められている意味での内乱において,何かそのようなことが起って一つの国が分裂するような場合には,もしそれぞれ 互いに一方の側の人々が他方の側の人々の田畑を荒したり,家々を焼いたりするならば,そうした内乱は忌わしいものと思われ,どちらの側の人々にも国を愛す る気持がないとみなされている。国を愛する者なら,育ての親であり生みの母であるものを荒廃させるようなことは,するに忍びないだろうからね。むしろ,そ ういう場合に勝ったほうの者のとるべき態度としては,負けたほうの人々から収穫を取り立てるぐらいが適切であり,お互いにやがて和解するはずであって,い つも戦い合っている間柄ではないと考えるべきだ,というふうに思われている」
「たしかにそのほうが」と彼はいった,「もうひとつの考え方よりも,はるかに穏当な考えですからね」(470D)

前のメモも一環ですが,ここでは「内乱」と「戦争」ということについて区別して言われています。内乱については,同じギリシア人で身内同士の争いであり,「相手を懲らしめる場合も,善意をもって正すのであって,けっして奴隷にしたり滅ぼしたりするようなことは考えないだろう。彼らは矯正者であって,敵として相対するのではないのだから」(471A)と。
ただ,これはどちらかというと「戦争」,つまり異民族との争いについては決然とした対応を取ると読み取ってしまうところだと思います…。違う民族か同じ民族か,ということは一体何が違うのか?と自分などは思ってしまうところですが世界的に見ても歴史的に見てもプラトンの言うことが現実に即しているとは思います。

「し かしそれはそれとして,ソクラテス,こうした話題について,この調子で話の進行をあなたにおまかせしていると,先ほどあなたがこれらすべての話題に入る前 に,ひとまずわきへ除けておかれたあの肝心の問題が,いつまでたっても取り上げられないことになるのではないでしょうか。―つまり,われわれが語っている この国制 (国家組織) は,実現可能であるか,また,いったいどのような仕方で実現することができるのか,という問題が,です。」(471C)

グラウコンが痺れを切らしてきました。確かに何が問題だったのかがよく分からなくなってくるという,いつものソクラテスの対話っぽくはなってきていました。

そこでここからは,ついに前半最大のターニングポイントである,第3の大浪について語られます。続きはメモ(3)に。