プラトン『ソピステス』メモ

プラトン『ソピステス』(プラトン全集 (岩波) 第3巻)を読んだときに,メモったものを転記します。

『ソピステス』は,冒頭でソクラテスが,エレアからの客人という哲学者に「哲学者,政治家,ソフィストはしばしば同じように見えるが何が違うのか」ということを尋ね,エレアからの客人が,まずはソフィストから,と,テアイテトスと対話しながらソフィストとは何かを明らかにしていくという筋立てです。
ソクラテスが殆ど出てこないという点で,割と珍しいといえると思います。

プラトン全集は図書館で読むしかないので手元に無く,記憶が頼りなので上記の要約は正確ではないかもしれません。いずれにしても,内容や解説などはプラトン全集や解説本を読めばいいわけなので,ここでは自分が読んでいて気になって (印象に残って) 本文を書き写した箇所を書き落とします。相互に脈絡があるとは限らず,それ自体だけ読んでもあまり判然としない可能性もあります (正直自分でも判らないものがあります) が,元がタダのメモなのでご容赦。
また,あくまでも直観に従って書き残したもので,話の本筋と関係があるとは限りません。尤もプラトンの対話篇は,主題からしばしば道を外れて,しかもそれが内容的に深かったりするので,本筋を考えるよりもその場その場で何かを読み取ればよい,というのが私のスタンスです。

「すなわち,魂の内にある欠陥には二つの種類があること,そして,臆病や放埓や不正はすべて,われわれの内なる病気であるとみなすべきであり,他方,多種多様の無知の状態は,醜さであると考えるべきである,と。」(228E のテアイテトス)

「<非有>(あらぬもの) は確固としてそれ自身の本性をもっているものであって,それはちょうど<大>(大なるもの) が大きくあり,…<非大>(大ならぬもの) が大でないものであり,…と同様なのである。そしてその意味において,<非有>(あらぬもの) もまた同じようにあらぬものであったし,またあらぬものがあるのであって,それは多くのあるもののなかの1つの <形相> として数え入れられるべきものである,と。」(258B のエレアからの客人)

「ではまず,<思考>と<言表>は同じものではないかね。違う点はただ,一方は魂の内において音声を伴わずに,魂自身を相手に行なわれる対話 (ディアロゴス) であって,これがわれわれによって,まさにこの <思考> という名で呼ばれるにいたったということだけではないか?」 (263E のエレアからの客人)

「では正義をはじめ,一般にすべての徳の姿かたちといったものについては,どうだろう?多くの人々がその知識をもたずに,ただ何らかの思わくをもっているだけの状態でありながら,徳であると思われているその当のものが,自分たちの内にほんとうにあるように見せかけようと,きわめて熱心な努力を試みているのではなかろうか―行動と言葉によってできるだけそれを真似ながらね。」 (267C のエレアからの客人)

最後のメモは,プラトンの著書によく出てくる (例えば『ゴルギアス』など) ソフィストの一面を分かりやすく描いた部分だと思います。
何かの (例えば政治の) 技術を持っているわけではないが,説得することによって,あたかもその技術を持っているように見せかけ,それによって報酬を得る,というような人物のことで,基本的にはかなりの悪者としてプラトンの著書では描かれています。
また,(こういうことを言いたかったわけではないのですが) 今の世の中にもソフィストは多いように思われます。

読み終わってから2週間くらい経ってしまっているので中身をかなり忘れてます…今後は早めに書きたいと思います。

次は『ポリティコス(政治家)』の予定。

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