プラトン『国家』第五巻メモ(3)

プラトン『国家』((プラトン全集 (岩波) 第11巻,岩波文庫『国家』(上)) 第五巻を読んだときのメモ第3弾。

『国家』第五巻は「3つの大浪」とたとえられるソクラテスの説が披露され,メモ(1)と(2)で最初の2つの部分を取り上げたのですが,本メモ(3)は最大の大浪で,いわゆる「哲人王」「哲人政治論」と言われるものです。
『国家』の内容を紹介するときに,恐らく,序盤のトラシュマコスの激しい肉薄や,後半の「洞窟の比喩」などイデア論を譬えた比喩を抑えて,第1位に挙げられるのがこの「哲人王」の部分ではないでしょうか?確かにその内容は一見して分かりやすく印象的です。
また,前半では「実践は言論より真理に触れることが少ない」といった,常に理想というものを視界にとらえるプラトンらしい命題が言われ印象的です。また哲人政治について述べた後に,ではその哲学者とは一体どういう人なのか,ということも論じられます。ここもかなり重要なことが言われていると思います。最後に,「知識」と「思わく」の違いについても出てきます。

「と にかく,こういう国制がもし実現したとすれば,こういったすべての善い点や,ほかにもまだ無数の長所があるということは認めますから,もうこれ以上,制度そのもののことは話していただかなくても結構です。いまやわれわれは,肝心かなめの点を,すなわち,それが実現可能であるということ自体を,またいかにして実現可能であるかということを,われわれ自身に納得させるように努めるべきときです。そのほかのことについては,これで話を打ち切ることにしましょう」
「これはまた突然に」とぼくは言った,「ぼくの話に向かって襲撃をかけてきたね。ぼくがぐずぐずと引き延ばしているのを,容赦しないというのだね。おそらく君は,先の二つの大浪をぼくがやっとのことで逃れたところへ,君がいま差し向けてよこしたこの第三の浪こそ,三つのうちで最も大きく,最も厄介な大浪だということを,わかってくれていないのだろう。それがどんなものかを実際に見聞きしたなら,君はきっと,大いに寛大になってくれるだろう,―なるほど,これほど常識はずれの言説なら,ぼくがそれを口外して検討を試みるのを恐れてためらっていたのは,無理ではないとね」(471E)

ということで,メモ(2) の最後で急かされたように,ではどうすればそういう国家が実現できるのか?ということを語らされることになります。ソクラテスは,さきの2つの大浪よりも衝撃的な内容であることを予め印象付けます。

「いや, べつに。ただ,君にききたいのだが,もしわれわれが<正義>とはどのようなものかを発見したとした場合,われわれは,正しい人間というのもま た,<正義>そのものと少しも異なっていてはならぬ,あらゆる点でその<正義>の理想そのままでなければならぬ,というふうに要求するだろうか?それとも,できるだけそれに近い人間であって,他の誰よりも<正義>を分けもっているならば,それでよしとするだろうか?」
「そうです」と彼は答えた,「それでよしとするでしょう」
「とすれば」とぼくは言った,「われわれがこれまで,<正義>とはそれ自体としていかなるものであるか,また完全に正しい人間がもしいたとしたら,その場合それはどのような人間であるかを探求してきたのは,模範となるものを求める意味においてだったのだ。そして,<不正>や最も不正な人間のほうについても同様である。つまりそれは,そういう模範としての人間に着目して,彼らが幸・不幸に関してどのようなあり方を示すかをしらべ,それをわれわれ自身にも当てはめてみて,そういう人間に最もよく似た者はまた最もよく似た運命をもつであろうということに,同意せざるをえないようにするためだったので。われわれの目的はけっして,そのような模範が現実に存在しうるということを証明することではなかった」(472B)

…微妙に言い訳っぽい感じがしないでもないのですが,理想と現実が違うとしても理想が色あせるわけではないぞと。次に続きます。

「それなら,かりにわれわれが,語られたとおりに国家を統治することが実際に可能であるということを証明できないからといって,われわれの語った事柄がそれだけ価値を失うと思うかね?」
「けっしてそうは思いません」と彼。
「では,それが真実だと承知したまえ」とぼくは言った,「しかしながら,もしこのうえさらに君を満足させるために,この国家はどのようにすれば最もよく実現され,どのような条件のもとで最も可能であるかを証明することに努力しなければならないとすれば,そのような証明のために,もう一度同じ事を確認しておいてもらいたいのだ」
「どのようなことを?」
「いったい,言葉で語られるとおりの事柄が,そのまま行為のうちに実現されるということは,可能であろうか?むしろ,実践は言論よりも真理に触れることが少ないというのが,本来のあり方ではないだろうか?人はそう思わないかもしれない。しかし君は,これに同意するかね,しないかね?」
「同意します」と彼は答えた。
「それでは,われわれが言葉によって述べたとおりの事柄が,実際においても,何から何まで完全に行なわれうるということを示さなければならぬと,ぼくに無 理強いしないでくれたまえ。むしろ,どのようにすれば国家が,われわれの記述にできるだけ近い仕方で治められうるかを発見したならば,それでわれわれは, 事の実現可能性を見出して君の要求にこたえたことになるのだと,認めてくれたまえ。それとも,それだけの成果ではまだ不服かね?ぼくとしては満足できるのだが」
「ええ,わたしも同じです」と彼は答えた。(472E)

この内容も前の言葉に続くもので,国家についても今まで語られたことが実現できると証明できなくてもやむを得ない,寧ろ実現できなくても言論のほうが真理に近いと。
実現可能かどうかはまずは考えずに,理想の国家を打ち立てて,現実のほうをそこに近づけていく…というのは個人的には共感したい部分です。が,実際はどうかというと,例えばそういう姿勢がソフトウェア開発の世界では失敗しがちな事例が多いと思います。

また全く別の観点からいうと,プラトンのいう言論というのはやはり数学的だ,という思いがします。プラトンの理想というものは,数学では極限が表現できるのと似ているのかもしれません。例えば f(x) = log x は,x → ∞ のとき,f(x) → ∞ になりますが,log の増加率というのは非常に鈍くて f(1000000) でもたったの 6 です (底を 10 として)。それでも数学的には x → ∞ のとき,log x → ∞ で,これは「真理」です。
「実践は言論よりも真理に触れることが少ない」というのは,f(x) が ∞ になるような x は実感できないのが現実,というような感じともいえると思います。そしてプラトンは,数学という抽象化された世界と同様に,正義などの徳についても,x → ∞ に相当するような言論を立てようとしていた,という見方もできるかもしれません。数学の例えは不遜なのでここでやめますが,次の「哲人王」についてもこういう見方はありうるかもしれません。

「さあ,とうとう」とぼくは言った,「われわれが最大の浪にたと えていたものに,ぼくは直面するときがきた。だがとにかく,それは語られなければならぬ。たとえそれが,文字どおり笑いの大浪のように,嘲笑と軽蔑でぼくを 押し流してしまうことになろうとも。―では,これから言うことを,しらべてくれたまえ」
「言ってください」と彼はうながした。
「哲学者たちが国々において王となって統治するのでないかぎり」とぼくは言った,「あるいは,現在王と呼ばれ,権力者と呼ばれている人たちが,真実にかつじゅうぶんに哲学するのでないかぎり,すなわち,政治的権力と哲学的精神とが一体化されて,多くの人々の素質が,現在のようにこの二つのどちらかの方向へ別々に進むのを強制的に禁止されるのでないかぎり,親愛なるグラウコンよ,国々にとって不幸のやむときはないし,また人類にとっても同様だとぼくは思う。 さらに,われわれが議論のうえで述べてきたような国制のあり方にしても,このことが果されないうちは,可能なかぎり実現されて日の光を見るということは, けっしてないだろう。
さあ,これがずっと前から,口にするのをぼくにためらわせていたことなのだ。世にも常識はずれなことが語られることになるだろうと,目に見えていたのでね。実際,国家のあり方としては,こうする以外には,個人生活においても公共の生活においても,幸福をもたらす途はありえないということを洞察するのは, むずかしいことだからね」(473C)

ここが,『国家』の最大のターニングポイントたる「哲人王」の記述のコアな部分だと思います。相当躊躇したあとにソクラテスの口からやっと出てきますが,内容自体は割とさらっと簡潔に語られます。
メモ(1) で,これは『国家』をここまで読んだ人へのご褒美だ,と書きましたが,単にここだけを読むのと,ここまでのソクラテスやグラウコン,アデイマントス,トラシュマコスたちの腐心を経てここまで辿り着いて読むのとでは違うでしょう。というか自分の場合は,「まあ普通じゃん」というような感じでした。この感じ方自体は普通ではない可能性はありますが(笑),でも何の突拍子もなく出てきたというより,他の対話篇を含めてプラトンがソクラテスに語らせてきたことがエッセンスとして凝縮されてきたという印象です。なので説明は不要という感じです。

ただ,以下に哲学者の定義も出てきますが,ここで言われている哲学者というのが,「いわゆる哲学者」ではないと考えられる,ということは念頭に置く必要があるように思います。「いわゆる哲学者」というのは今の少なくとも日本で哲学者と言った場合に認識される哲学者という意味です。はっきりいって何の役にも立たないことを考えている連中だと思われていると思います(笑)。あるいは「哲学」という学問に通じているとか,概念を系統立てて整理するとか,そういうイメージはあると思います。
ある意味では当たり前すぎる話ですが,プラトンが著した当時は学問としての「哲学」なんてなく,寧ろ (今で言う) 科学ともかなりごっちゃになっていたと思います。また,対話篇を読んでいても分かる通り,プラトンには何か統一的な概念を整理したいという意志があったとも思えません。ただソクラテスのように,物質的/経済的な利得ではなく,常に「善」なり「正義」なり (勿論それらの「イデア」といってもいいと思います) を追求し続ける人,という感じではないでしょうか。
極論すれば,「哲人王」論というのは,トートロジという気もするほどです。プラトンの言う哲学者は,ソクラテスのような,プラトンの理想とする考えを持った人間というようにも読めなくはないからです。だから象徴的ではありますが,他の対話篇も読んできた身からすると「普通じゃん」となるわけです。

「ソクラテス,何という言葉,何という説を,あなたは公表されたのでしょう!そんなことを口にされたからには,御覚悟くださいよ。いまやたちまち,あなたに向かって非常にたくさんの,しかもけっしてばかにならぬ連中が,いわば上着をかなぐり捨てて裸にな り,手あたりしだいの武器をつかんで,ひどい目にあわせてやるぞとばかり,血相かえて押し寄せてきますからね。その連中を言論によって防いで,攻撃を脱れるのでなければ,あなたはほんとうになぶりものにされて,思い知らされることになりますよ」
「そういうことになったのも」とぼくは答えた,「もとはといえば,君のせいではないのかね?」(473E)

ここまで恫喝っぽい表現もあんまりないと思いますが(笑),それだけ当時としてもこの説が異端であると思われる背景があったことを示しています。ソクラテスのとぼけ方は少し面白いところです。

「さ て,そこで思うのだが,もしわれわれが君の言うような連中の攻撃を何とか脱れようとするなら,哲学者たちこそが支配の任に当るべきだとわれわれがあえて主張する場合,われわれが<哲学者>と言うのはどのような人間のことなのかを,彼らに向かって正確に規定してやらねばなるまい。それがはっきり すれば,ある人々は生まれつき哲学にたずさわるとともに国の指導者になるのが適しているが,他の人々は哲学にたずさわることもなく指導者に従うのが適しているという事実を指摘することによって,われわれの立場を防禦することができようからね」(474B)

当然の流れですが,ここで哲学者を定義しようとします。

「では,次のことを肯定するか否定するかしてくれたまえ―ある人をあるものの欲求者であるとわれわれが言う場合,その人は,その欲求の対象の全部の種類を要求していると言うべきだろうか,それとも,ある種のものは欲求するが,ある種のものは欲求しないと言うべきだろうか」
「全部の種類を欲求していると言うべきです」
「では哲学者 (愛知者) もまた,知恵を欲求する者として,ある種の知恵は欲求するがある種の知恵は欲求しないと言うのではなく,どんな知恵でもすべて欲求する人である,と言うべきだろうね?」
「そのとおりです」(475B)

哲学者は,「特定の知恵ではなくどんな知恵でもすべて欲求する人」であると。

「これに反して,どんな学問でも選り好みせずに味わい知ろうとする者,喜んで学習に赴いて飽くことを知らない者は,これこそまさに,われわれが哲学者 (愛知者) であると主張してしかるべき者である。そうではないかね?」(475C)

この少し前に,学習について好き嫌いを言うものは「食物について好き嫌いを言うような者」というたとえもありました。

「そ うなりますと,たくさんの妙な連中があなたの言われた条件にかなう者だということになるでしょう。というのは,見物の好きな連中はみな,学ぶことに喜びを 感じるからこそ,見物好きであるのだと私は思いますし,また,聞くことを好む連中にしても,哲学者のうちに数えられるにしては,何かあまりにも奇妙すぎる人たちですからね。何しろ彼らは,哲学的な議論やそれに類する談論には,けっして自分からすすんで赴こうとはしないのに,合唱隊の歌を聴くことになると, まるで自分の耳を賃貸して,ありとあらゆる合唱隊を聞くことを契約してあるかのように,ディアニュシア祭のときなど,あちこちと駆けずりまわって,町で催される公演も村で催される公園も,一つ残らず聞きのがさないようにするのですからね。(475D)」

このグラウコンの指摘は私もそう思いました。知恵を欲求する人,学ぶことが好きな人はだれでも哲学者なのかと。

「では,真の哲学者とは」と彼はたずねた,「どのような人だと言われるのですか?」
「真実を観ることを」とぼくは答えた,「愛する人たちだ」(475E)

このソクラテスの答えは,噛み締めるしかありません。僕自身は,この答えで竹を割るように納得しました。哲人政治論よりもここのほうが重要でしょう。

「そ して,<正>と<不正>,<善>と<悪>,およびすべての実相 (エイドス) についても,同じことが言える。すなわち,それぞれは,それ自体としては一つのものであるけれども,いろいろの行為と結びつき,物体と結びつき,相互に結びつき合って,いたるところにその姿を現わすために,それぞれが多 (多くのもの) として現われるのだ。」(476A)

これはイデア論の説明と見ることができるのでしょう。が,イデア論云々はどうでもよく,「それ自体」というのがあり,それが姿を現したものもある,というのがここでは分かります。

「一方の人たちは」とぼくは言った,「つまり,いろいろのものを聞いたり見たりすることの好きな人たちは,美しい声とか,美しい色とか,美しい形とか,またすべてこの種のものによって形づくられた作品に愛着を寄せるけれども,<美>そのものの本性を見きわめてこれに愛着を寄せるということは,彼らの精神にはできないのだ」(476B)

この辺りは『饗宴』とも関係してきそうな内容ですが,「そのもの」ではなくてそれが現実に姿を映したもののみに愛着を寄せる人,「そのもの」を認められない者 (は,哲学者ではない) というのを言っています。
少し後に言われることですが,この人たちのことを,「知識」ではなく「思わく」を持つ者,であると語られます。

「ではどうだろう。いま言った人たちとは反対に,<美>そのものが確在することを信 じ, それ自体と,それを分けもっているものとを,ともに観てとる能力をもっていて,分けもっているもののほうを,元のもの自体であると考えたり,逆に元のもの自体を,それを分けもっているものであると考えたりしないような人,このような人のほうは,目を覚まして生きていると思うかね,夢を見ながら生きていると 思うかね?」
「まさに,はっきりと目を覚まして生きていると思います」(476C)

「そのもの」を観てとる能力がある人が,哲学者である,ということになります。
何となく仕事などでも実感する部分です。個別の細かい作業の手順を知っていることと,業務の本質を見抜いていることの違いに似ていると思いました。細かい作業手順を知っていても応用はできませんが,本質を見抜いていれば何かあっても即座に最善の対応ができるでしょう。

「では,ここにわれわれは,一つの論点を確立したことになるのではないか?この論点は,もっといろいろの仕方で考察したとしても揺がぬだろう。すなわちそれは,完全にあるものは完全に知られうるものであり,他方,まったくあらぬものはまったく知られえないものである,ということだ」(477A)

突然「ある」「あらぬ」といった話が出てきますが,これは<知識>と<思わく>の区別と連動しています。以下少し飛ばします。

「そうすると,<あるも の> には<知識>が対応し,他方,<無知>は必然的に<あらぬもの>に対応するのであれば,いま言われた中間的なものに対応するものとしては,<知識>と<無知>との,やはり中間にあるようなものを,求めなければならないのではないか―もしそのよ うなものがあるとすれば」(477A)

「ところで君は,少し前に,<知識>と<思わく>とは同一のものではないと認めていた」
「じっさい」と彼は言った,「誤ることのないものが,誤ることのあるものと同一のものであるなどと,いやしくも理をわきまえた人ならば,どうして考えることができましょう」
「うまい!」とぼくは言った,「では,<思わく>は<知識>とは別のものだということについて,われわれの間の意見の一致は明らかなわけだ」
「別のものです」(477E)

「すると<思わく>は,この両者の外にあるものだろうか?つまり,明確さにおいて<知>を超えるものであったり,あるいは,不明さの点で<無知>を超えるものであったりするのだろうか?」
「そのどちらでもありません」
「そうではなくて」とぼくは言った,「<思わく>は,<知>とくらべれば暗く,<無知>とくらべれば明るいものなのだと,そういうふうに君には思えるのだろうね?」
「まさにそのとおりです」と彼。
「両方の極の内に位置づけられるのだね?」
「ええ」
「そうすると<思わく>は,両者の中間的なものだということになるだろう」(478C)

ということで,<無知> (あらぬもの) というものが 0 で,<知> (あるもの) というものが 1 で,思わくというものはこの線分上の開区間のどこかにあるものである,というような意味のことが言われます。また,途中で知識というものは誤ることがないが,思わくというものは誤ることがある,ということも言われています。
「知識」と「思わく」については,『メノン』で,目的地に到達するまでの道を実際に歩いたことがあって「知っている」ことと,聞いたりして一応到達できそうという「思わく」,という例があったのを思い出しました。

「では,これだけの前提をもとに,あの有能な男―<美>そのものを認めず,恒常不変に同一のあり方を保つ<美>の実相 (イデア) というものがあることをまったく信じないで,多くの美しいものだけを認める男―あの男をして語らせ,答えしめよ,とぼくが言おう。それはさっきの見物好きの男,<美>や<正>やその他のものが一つであると人が言っても,けっして受けつけようとしない,あの男のことだ。
『君よ』とわれわれはこの男に言うだろう,『君の言うそれら多くの美しいもののなかに,醜く現われることのけっしてないようなものが,はたして一つでもあるだろうか?数々の正しいもののなかに,けっして不正に見えることのないようなものが,一つでもあるだろうか?数々の敬虔なもののなかに,けっして不敬虔に見えることのないようなものが,一つでもあるだろうか?』」
「いいえ」とグラウコンは言った,「それらのものは,必ずや,何らかの仕方で美しくあるようにも醜くあるようにも現われるものです。おたずねの他のすべてのものについても,そのことは不可避です」
「では,多くの二倍の分量のものはどうだろう?それらは,二倍のものであるとともに半分のものであるとも見なされることは,絶対にないだろうか?」
「いいえ」(479A)

「見物好きの男」が認めるのは,相対的なものであるようです。この手の議論はよくプラトン対話篇に出てきますね。

「したがって,多くの美しいものは見るけれども<美>そのものを観得することなく,他の者がそこまで導こうとしてもついて行くことのできない人たち,また,多くの正しいものは見るけれども<正>そのものを観得しない人たち,その他すべてにつけて同様の人たち―このような人たちは,万事を思わくしているだけであって,自分たちが思わくしているものを何ひとつ,ほんとうに知ってはいないのだと,そうわれわれは主張すべきだろう」(479E)

自分はどうなのだろう?と思わずにはいられない部分です。というより「そのものを観得する」ことは,目指すべきですが,「実践は言論より真理に触れることが少ない」ので現実には無理ということかもしれません。

「では,そのような人々は<愛知者>(哲学者) であるよりは <思わく愛好者> であると呼んだとしても,われわれはそれほど奇妙な言葉遣いをしたことにならないだろうね?そんな言い方をしたら,彼らはわれわれに対して,ひどく腹を立てるだろうか?」
「いいえ―彼らが私の言うことに従ってくれさえすればね」とグラウコンは言った,「真実のことに対して腹を立てるのは,許されないことですから」
「そうすると,それぞれのものについて,それ自体としてあるところのものに愛着を寄せる人々こそは,<思わく愛好者>ではなく,まさに<愛知者>(哲学者) と呼ばれるべき人々だということになるね?」
「まさしく,そのとおりです」(480A)

ということで,「哲人王」説の「哲学者」とはどういった人物であるべきか,という結論が得られました。ここで第五巻は終わりになります。

ようやく,『国家』も半分まで来ました。ターニングポイントにふさわしく,第五巻は3つの大浪というそれぞれ衝撃的な内容の説が語られ,面白かったと思います。

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