プラトン『国家』第六巻メモ(2)

プラトン『国家』((プラトン全集 (岩波) 第11巻,岩波文庫『国家』(下)) 第六巻を読んだときのメモ第2弾。

メモ第1弾の続きといった内容です。現存する国制では,哲学者による統治が行なわれるようなものはない,しかし可能性がないわけではないし,反対する人にも説明すれば納得するだろうと。
何となく楽観的という印象があります。大衆や,哲人政治に反対するであろう人たちにも,ここで対話されているようなことを説得できるだろうと言われたり,支配者の地位になるような人の中に哲学的素質が芽生える可能性も無くはないと言われたり。まあ楽観的じゃないと哲人政治なんて考えられず,逆にひたすら悲観的で人の善なるものを信じられないなら恐怖政治に陥るしかないのでしょう。だからプラトンはある意味では究極的な楽観主義者であるのかもしれません(笑)。ただまあ,そういうところもプラトンから学び取るべきことなのかもしれません。
なおイデアの本格導入や,太陽の比喩等は次のメモ第3弾に書く予定です。

以下は読書時のメモです。

「哲学に適合した国家のあり方とおっしゃるのは,現存するさまざまの国制のうちの,どれのことなのでしょうか?」
「けっしてどれでもない」とぼくは言った,「まさにそのことが,ぼくの不満とするところなのだ。現在行なわれている国制のうち,どれひとつとして哲学的素質に値するものはないという,そのことがね。だからこそまた,そのような素質はねじ曲げられ,変質させられることにもなるのだ」(497A)

現存するさまざまの国制,というのは実はまだ『国家』では殆ど具体的に述べられていません。第四巻の最後でこれから言及しようとしたところで,別のテーマ (3つの大浪) に移ってしまいました。それは第八巻まで待たねばならないことになります。いずれにせよ,それらは不適合だと。

「そこで君はつぎに,それならその最善の国制とは何かとたずねるだろうことは,よくわかっている」
「わかってはいませんよ」と彼は言った,「わたしがたずねようとしていたのは,そういうかたちの質問ではなくて,いったいその国制とは,われわれがこれまで国を建設しながら語ってきた国制と同じものなのか,それとも違うのか,ということです」(497C)

微妙に反抗的な態度を取るアデイマントスが印象的です(笑)。まあいずれにしても,これまで対話のテーマだった国家の国制ではどうなのか,という話になるのは流れとしては必定です。

「ぼくは熱意のあまり,大胆にも,こう言おうとしているのだよ―国家がこの哲学という仕事を扱う仕方は,現状とまったく反対でなければならない,とね」
「どのような意味で,でしょうか?」
「現状では」とぼくは言った,「哲学を手がける者があるとすれば,そういう人たちは,やっと子供から若者になったばかりのころ,家を持って生計を立てるようになるまでのあいだに,哲学の最も困難な部分に近づいてみたうえで離れ去ってしまう。そんな連中が,いちばんよく哲学を学んだ人たちと見なされてしまうようなありさまなのだ。最も困難な部分というのは,論理的な議論にかかわる部分のことだがね。―そしてそれから以降は,もし招かれてほかの人々のそういう議論の聴き手になることを承諾でもすれば,それで大したことをしたつもりになっている。哲学的な議論などは,片手間のこととしてなすべきだと思っているわけだからね。最後に,老年になると,ほんの少数の例外をのぞいて,彼らの内なる火はすっかり消えてしまう。もう二度と点火されることがないだけ,ヘラクレイトスの太陽よりもずっと完全にね」
「では,本来はどのようにすべきなのでしょうか?」と彼は言った。
「まったく正反対のやり方でなければならない。若者や子供のころには,若い年ごろにはふさわしい教養と哲学を手がけるべきだし,身体が成長して大人になりつつあるあいだは,身体のことにとくによく配慮して,哲学に奉仕するだけの基礎をつくらなければならない。年齢が長じて,魂の発育が完成期に入りはじめたならば,こんどは,そのほうの知的訓練を強化すべきである。そして,やがて体力が衰えて,政治や兵役の義務から解放されたならば,そのときこそはじめて,聖域に草食む羊たちのように自由の身となり,片手間の慰みごとをのぞいては他の一切を投げ打って,哲学に専心しなければならない。そうしてこそ人は幸せに生きることになる,死んでのちはあの世において,自分の生きてきた生のうえに,それにふさわしい運命をつけ加えることになるだろう」(497E)

『ゴルギアス』でのカリクレスは,確か大人になっても哲学を行なっているような人間はぶん殴ってやりたいみたいなことを言っていましたが(笑),ここではソクラテスに,歳をとるほど哲学に専心しないといけないと言わせています。
前半で,「哲学の最も困難な部分というのは,論理的な議論にかかわる部分」と言っていますが,勿論プラトンにとっての哲学は,真実を愛し,イデアを追求することなので,哲学とは何かということについてのギャップがあったということなのでしょう。

「われわれとしては,このトラシュマコスをも,その他の者たちをも説得してしまうまでは,あるいは少なくとも,この人たちが次の世に生まれかわって,いまと同じような議論をすることになったときのために,何ほどか役に立つことをしてやるまでは,けっして努力をゆるめないだろう」
「次の世とはまた」と彼は言った,「少しばかり先のことをおっしゃるものですね!」
「いやいや」とぼくは答えた,「それまでの時間などは無に等しいようなものだ―全永劫の時間を前にしてはね」(498D)

プラトン (ソクラテス) の時間に対する卓見を表す場所だと思います。

「こういった事情があればこそ」とぼくは言った,「またそれを予測したからこそ,われわれはあのとき,恐れながらも真実に強制されて,次のように言ったのだ―
さっき言ったような哲学者たちが,つまり,今日役立たずと呼ばれてはいるが,けっして碌でなしではないところの数少ない哲学者たちが,何らかのめぐり合せにより,欲すると欲しないとにかかわらず国のことを配慮するように強制され,国のほうも彼らの言うことを従順に聞くように強制されるのでなければ,あるいは,現に権力の座にある人々なり王位にある人々なりの息子,ないしはその当人が,何らかの神の霊感を受けて,真実の哲学への真実の恋情に取りつかれるのでなければ,それまでは国家も,国制も,さらには一個人も同様に,けっして完全な状態に達することはないだろう,と。
いま言った二つの条件のうち,どちらか一方,もしくは両方ともが,実際には実現不可能であると考える根拠はまったくない,とぼくは主張したい。もしそうなら,われわれは,たんなるむなしい祈りにしかすぎないような説をなす者として,正当に嘲笑されてしかるべきだろうからね。そうではあるまいか?」(499B)

「こういった事情」というのは,ここまで述べられたような哲学的な素質を持った人による支配や討論などを見たり聞いたりしたことがある人は殆どいない,というようなことですが,確かに何事もそういう理想というか,可能性を知らない,もしくは実現不可能と考えていると,といざチャンスがあったとしても活かせないような気がします。つまりプラトン (ソクラテス) は,確率的に「哲人王」が出現する可能性はあるはずだがそもそもそういう可能性が活かされていないわけだと見ているように思いました。

「ねえ,君」とぼくは言った,「大衆というものをそう無下に悪く言うものではないよ。彼らにしても,君が彼らと争うつもりでなく,穏やかに言い聞かせる気持で,学問愛好に対する偏見を解いてやり,君の言う<哲学者>とはどういう人々のことかを教えてやるならば,そして,彼ら自信が考えているような連中のことを君が言っているのだと思われないために,哲学者たちの自然的素質やその仕事のことを,さっきのようなやり方でちゃんと規定してやるならば,きっと意見を変えることだろう。それとも君は,たとえ彼らが君の説明どおりの見方をするとしても,違った意見をもち,違った答をするようにはならないと,言うつもりかね?いったい,誰にせよ,自分自身が悪意のない穏やかな者でありながら,怒ってもいない者に対して怒ったり,悪意のない者に対して悪意をもったりすると思うかね?」(499E)

基本的にプラトンが大衆のことをいつも悪く言っているじゃないかという気もしますが(笑),まあ彼らは誤解しているだけだと。

「ではまさにこの点についても,君は同じ考えだろうか?ほかでもない,多くの人々が哲学に対してきつく当ることのそもそもの責任は,その柄でもないのによそから入りこんできた,あの騒々しい連中にあるということだ。彼らは,お互いに罵り合い,喧嘩腰であって,いつも世間の人間たちのことばかり論じるという,およそ哲学には最もふさわしからぬことをしている」
「まったくです」と彼。(500B)

「あの騒々しい連中」とは勿論ソフィストを指すと考えられます。
ふと思ったのですが,プラトンは「ソフィスト」についてもイデア的なものを考えていたのかもしれません。「一部の若者たちがソフィストから害毒を受けている(が)…実際には,そういうことを言っている人々自身が最大のソフィストであって…」(492A) と前に言っていますが,つまり善のイデアと同様に,ソフィストのイデアというものがあって,ソフィストたち自身よりもそういう言動をさせているそのものを憎んでいたのかもしれません。

「彼らはその仕事にあたって」とぼくは言った,「いわば画布に相当するものとして,国家と,人間たちの品性とを受け取ったうえで,まず第一に,その画布の汚れを拭い去って浄らかにするだろう。これがそもそも,容易ならぬ仕事なのだ。だがいずれにせよ,君も知るように,彼らはすでにまずこの点において,他の者たちとは違うと言うべきだろう。すなわち,相手が一個人にせよ,国全体にせよ,これを清浄な状態で受け取るか,あるいは自分自身で清浄にするか,どちらかでなければ,それまではけっして手を着けようとせず,法を起草しようともしないという点においてね」(501A)

この辺りは,哲学者が,自己自身のように国全体をどう形作るかという話になっています。いわゆる「ゼロベースで」という感じなのでしょうか。

「さあ,これでわれわれは」とぼくは言った,「われわれを目がけてはげしい勢いで押し寄せてくると君が言っていた連中を,何とか説得することができるだろうか?彼らは,そんなやつに国を委ねるのかと怒ったが,あのときわれわれが彼らに推奨したのは,実はこのようにして国家のあり方を描く画家なのだ,と言ってね。どうだろう,彼らはいま,このことを聞いて,いくらか穏やかになってくれるだろうか?」
「いくらかどころか」と彼は言った,「ずっと穏やかになるでしょう。聞きわけがありさえすれば」
「じっさい,彼らにしても,どの点に異論を申し立てることができるだろう?哲学者とは,実在と真理を愛する者ではないとでも言うのだろうか?」(501C)

現実には全然穏やかになってくれないと思いますが(笑)。実在と真理を愛する者ばかりだといいんですけどね。前々から書いてますが,現代では物理的・経済的な利益を幸福であると考えがちだと思われます。そのために実在と真理をねじ曲げることを厭わない人も多いでしょう。見方によっては,ソクラテス流の対話によってそれを変えることができると信じているのがソクラテスであって,前向きだなあといつも思うようなところです。
また,くだんの連中も,「実際に自分が行なうのではなく,そういう考えの方が優れている」ということならば同意してくれるかもしれませんが…。

「ではどうだろう―そのような自然的素質が自分にぴったりと適合した仕事を与えられたとき,いやしくも何らかの素質がそうなるとすれば,まさにこのような自然的素質こそは,すぐれた性格,哲学的な性格として完成されるだろうということ,このことを否定するのだろうか?それとも,われわれが排除したような人たちのほうが,むしろそうなるなどと主張するだろうか?」
「むろん,そんなはずはありません」
「とすれば,哲学者の種族が国の支配者となるまでは,国家にとっても,国民にとっても,禍いのやむときはないだろうし,われわれが言葉によって物語っている国制が事実において完成されることもないだろう,とわれわれが言うのに対して,彼らは,なおも怒りつづけるだろうか?」(501D)

ということで,哲学者が支配者になることが,今までの国制を実現するための必要条件である,と「哲人王」と同じことが繰り返されます。

「さあそれでは」とぼくはつづけた,「彼らのほうは,この点をすっかり納得してくれたものとしよう。ところで,王位や権力の座にある人々の子供に,哲学的な素質を持った者がたまたま生まれてくるという可能性はないと言って,その点で異論を申し立てる人が誰かいるだろうか?」
「一人もいるはずがありません」と彼は言った。
「では,そういう素質に恵まれた者が生まれたとしても,どっちみち必ず堕落してしまう,と言い切ることが誰かにできるだろうか?」(502A)

今度は既に支配者になるべき人が哲学者になるというパターンについての問いで,これは No という答えが当然直後に言われます。
前に「確率的」ということを述べましたが,ここでも何となく確率的な意味を感じられます。普通は堕落するが中にはたまたま堕落しないような人もいると。
確率的,というのは言い換えれば生物学的,科学的であり,哲学の立場からすれば神の領域でもあると思います。そういうところが,プラトン対話篇で神話が多く出てくることと繋がってくるのかもしれないとふと思いました。

「そうするとどうやら,この立法の問題についていまわれわれに結論できることは,われわれの案は,もし実現できれば最善のものである,しかるにその実現は,困難ではあるけれどもけっして不可能ではないと,こういうことになるようだ」(502C)

「それでは,この点はやっとこれで片がついたわけだから,つぎに,残された問題を論じなければならない。それは,こういう問題だった。―われわれの国制の守り手となるべき者たちは,どのようなやり方で得られ,何を学び何を業とすることによって育成されるか,また,それぞれ何歳ぐらいのときに,それぞれの学問にたずさわったらよいか」(502C)

ということで,哲学者による支配というテーマが一段落ついたところで,ここからは本格的に「善のイデア」とは何かということを探求していくことになりますが,キリがいいのでここで一旦終ります。続きはメモ(3)に。

 

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