プラトン『法律』第一巻メモ(1)

プラトン『法律』(プラトン全集 (岩波) 第13巻) 第一巻を読んだときのメモ第一弾。

今回の作品は,プラトン対話篇の中での超大作『法律』です。全12巻は,『国家』の全10巻を凌駕します。本メモも,巻ごとにまとめていくことにします。

また同時に本作は,プラトン最晩年の著作としても知られていると思います。が,それはあまり考えないようにしたいと思います。プラトンの思想を分析する観点からは,当然,中期対話篇の『国家』から,『テアイテトス』『パルメニデス』『ソピステス』やなかんずく『ポリティコス(政治家)』等,後期対話篇の期間を通してプラトンの思想がどう変わったのか,自分の政治経験がどう反映されているのか,といったことが着目点なのだろうと思います。
でも,自分には,そういったことはどうでもいいのです(←どうでもいいは言い過ぎだけど)。恐らく70を超える高齢になったプラトンが,確実に死を意識しながらなお,どんな思い,渇望を持ってこんな超大作を書いていたのだろう?ということに思いを馳せたいと思います。また文学作品 (というか,あまつさえ対話篇という形式で書かれた読み物) として考えた場合,著者は読者に,自分がいつ書いたものであろうと等しく読ませるものにすると思われるからです。かつプラトンもそう考えただろうと思うからです。自分のようなアマチュアの読者は,そこを素直に読むべきかなと思います。(但し後期対話篇については,アカデメイアの学生向けに書かれた専門性の高いもので一般向けではない,という説が有力のようなのですが。)

さて第一巻では,まず法律が何を目的に作られたものかということや,法律でどういったことが定められるべきか,といったことを軸に,様々なことが語られていきます。戦争に勝つことが法律の目的とか,快楽などの感情を法律で取り締まるとか,財産や集会を監視するとか,今の自分の感覚ではちょっと信じがたいことも言われたりします。それから,欲望や快楽に対する「訓練」や,飲酒についての話も展開されます。

以下,読書時のメモです。

アテナイからの客人「ねえ,あなた方,神さまですか,それとも誰か人間なのですか,あなた方のお国で法律制定の名誉をになっておられるのは。」
クレイニアス「神さまです,あなた,それは神さまですよ,いちばん正しい言い方をすればね。わたしたちの国ではゼウスですが,この方の出身地ラケダイモン(スパルタ)では,人呼んでアポロンと言っているはずです。そうではありませんか。」
メギロス「そうです。」(624A)

冒頭です。舞台はクレテ島で,アテナイからの客人,クレテのクレイニアス,スパルタのメギロスの3人で対話が進んでいきます。
まず目につくのは,ソクラテスが出てきません。後期対話篇では,ソクラテスが主要人物でないことはありましたが (『ソピステス』『ポリティコス(政治家)』),全く出てこないのは本対話篇だけかもしれません。それは何故なのか?アテナイからの客人というのは実はプラトン自身で,ソクラテスに頼らず,自分自身の考えであることを明確にした…というくらいなら誰でも思い付くことですが,そう思われることは当然プラトンも読んでいたでしょうから,それでもなおこうしたというのは何か別の理由があるのか?これだけでも論文になりそうなテーマですね。

アテナイからの客人「ではお二人は,あなたにせよこの方にせよ,そのようにすぐれた法の習慣のなかで育ってこられたのですから,今日は道すがら,国制と法律について話したり聞いたりして時を過ごすのも,思うに,そうまずいことではありますまい。」(625A)

クレイニアス「ここで立法者は,大衆の愚かさをとがめているように,わたしには思われるのです。というのも大衆は,誰もがすべての国に対し,生涯を通じて不断の戦いにさらされていることを,理解していないからです。そこで,もし戦時にあって,防衛上共同の食事をとり,指揮する者指揮される者の若干が,交替でその見張りに任命されなければならないのだとすれば,そのことは平和のときにも行なわれなくてはなりません。じっさい,世の多くの人びとが平和と呼んでいるものは,たんに名目だけのもので,じじつはむしろ,すべての国はすべての国を相手に,いつも宣戦布告のない戦いにまきこまれているのが,自然本来の姿なのですから。」(625E)

道すがら,国制と法律について論じながら歩いていくという,考えてみるとすごい設定です。「いつも宣戦布告のない戦いにまきこまれている」というのは強烈な言葉です。すごい主戦論者という印象を受けます。次に続きます。

クレイニアス「クレテの立法者は,戦いに着目することによって,公私を問わずわが国の慣習のすべてを制定したのであり,また,まさしくその見解に従って,法律をあたえてこれを守らせたのです。」(626A)

アテナイからの客人「あなたの下された,立派に治められている国家の規準ですが,あなたの言葉では,立派に治められた国とは,戦いで他国を征服できるように,組織され治められていなくてはならないようですね。そうではありませんか。」
クレイニアス「まったくそのとおりです。」(626C)

ということで法律とは,国家とは,戦に勝つことを目的に作られている,というクレイニアス説が言われます。
自分なども平和ボケしているとは思うので,そんなことあり得るのか?と思いますが戦が日常的に行われ重視される時代というのは,そういう考えもあるのでしょうか。

クレイニアス「だってあなた,自分が自分に打ち勝つことが,すべての勝利の根本ともいうべき最善のことであり,自分が自分に負けるのは,最も恥ずかしく,また同時に最も悪いことだとするのは,ほかならぬ今の場合 (自分の内なる戦いの場合) のことなのですよ。というのも,そうした表現は,わたしたち一人ひとりの内部に,自分自身に対する戦いがあることを,意味しているのですから。」
アテナイからの客人「ではひとつ,その議論を逆にしてみようではありませんか。」(626E)

国家の規準について前に述べられましたが,国家→村→個人間→自分自身,についても同じ規準が当てはまるだろうと言われ,そこで最終的に,「自分が自分に勝つことが根本」と言われました。そこから逆に辿って,国家も国家自身に敵を持つ,と言われることになります。

クレイニアス「どんな国家にしても,その内部で,すぐれた人びとが大勢の劣った人びとに勝っている場合は,その国家は,自分自身に勝っていると言われるのが正しく,またその勝利ゆえに称賛をうけるのが,当然でしょう。これに対し,その事情が反対の場合には,その評価も反対になるわけです。」(627A)

これも主戦派のクレイニアスの言葉です。自分には何となく,平等になっているべき (国家内は),という観念があるためか,「すぐれた人びとが大勢の劣った人びとに勝っている場合」が,国家として,自分自身に勝つ,というのは違和感を覚えるところではありますが,寡頭制のような国家では当然なのかもしれません。

アテナイからの客人「ところが,その最善のものとは,戦いでもなければ,内乱でもありません,―それらの手段に訴えることこそ呪われるべきです―,むしろそれは,相互の間の平和であり,かつ友誼なのです。さらに,国家が,自分で自分に勝つということにしても,思うにそれは,「最善のこと」に属していたというより,「やむをえない必然のこと」に属していたわけです。」(628C)

対して,アテナイからの客人は平和主義のように思えます…ここの前にも,内部で敵対する者同士,勝ち負けがつく前に和解させるべきということも言われていました。また前に言われた「自分自身に勝つ」というのは,最善のものではなく,「やむを得ない必然のこと」としているのも印象的です。少し後に比喩もあるのですが,そもそも病気にならない身体であることこそが最善である,しかしそれは病気になってどう直せばよいか,という段階では考えられにくいことだと。

アテナイからの客人「もしひとが,国家や個人の幸福に関してもそのような考え方をして,ただもっぱら外敵との戦いにのみ目を向けていたのでは,けっして真の意味での政治家になることはできないでしょう。また正真正銘の立法者になることもできないでしょう。いやしくも彼が,戦争に関する事柄を目的として平和の事柄を立法するというより,むしろ平和を目的として,戦争に関する事柄を立法するのでないかぎりは。」(628D)

ということで,アテナイからの客人は,前の方でクレイニアスによって言われた,戦のために立法するということに明確に反対の立場を取ります。病気になった時にそれを治そうとするのと同じように,戦も否定はしていないと思いますが,それはやむを得ないことであり,積極的に追及すべきは平和,という感じでしょうか。

アテナイからの客人「戦いには二つの種類がある。その一つは,わたしたちすべてが内乱と呼ぶところのもの,それこそは,今しがたも言ったように,あらゆる戦いのなかで最も恐るべきものだ。これに対し,わたしたちのすべてが,戦いの今一つの種類と見なすものは,国外の,異種族との間で不和になるときに交える戦いであり,これは,さきの戦いよりはるかに穏やかなものだと。」(629D)

本巻では,割と内乱の恐ろしさが強調されていて,アテナイからの客人も,外敵はしょうがないが内乱は絶対避けるべき恐るべきもの,というニュアンスのことを何度か言っています。この後も,外敵との戦いで勇敢な戦士より,内乱において武勇を示した人の方がより武勇の人と言われたり,「内乱に際して信頼に足る,心のしっかりした者となるには,徳のいっさいをそなえずしては不可能なことですから」(630B) と言われたりします。こういうわけで,戦のためにも徳が重要ということになってきます。

アテナイからの客人「ところで,わたしたちのこの議論は,いったいどこへたどりつくのでしょう。また,そもそも何を明らかにしようとして,このように話しているのでしょうか。それはあきらかにこういうことなのです。ゼウスの教えをうけたこのクレテの国の立法者は言うまでもなく,およそ多少なりと有能な立法者ならすべて,法律の制定にさいし,つねに最大の徳以外のものにとりわけ着目することはありえない,ということです。その最大の徳こそは,テオグニスも言うように,危機にさいして信頼に値することであり,ひとはそれを,全体にわたる正義と名づけることもできるでしょう。」(630C)

立法には「つねに最大の徳以外のものにとりわけ着目することはありえない」というのが,アテナイからの客人の一貫した考えで,かつプラトンの「理想」の一環なのでしょう。法律というものを見透かした時に,奥に「全体にわたる正義」が浮かんでくるかどうか。これは民主主義の国家では有効な検証の仕方かもしれません。

クレイニアス「これではあなた,わたしたちは,われわれクレテの立法者を,落第立法者の中に投げこんでいることになりますよ。」
アテナイからの客人「あなたともあろう方が!「わたしたちは」ではありません。むしろ「わたしたちみずからを」投げこんでいることになるのです。かりにも,リュクルゴスやミノスが,とりわけ戦いに着目して,ラケダイモンやクレテの制度いっさいを定めていたなどと考えているようではね。」(630D)

アテナイからの客人「つまり,あなた方の立法者は,徳の一部分,それもきわめてくだらない一部分に着目して制定したのではなく,徳の全体に着目して制定していたのであり,また彼は,当時の人びとの法律を,種目に応じて考察したのですが,しかもその種目は,今日の立法者たちが考察するとき念頭に置くようなものではなかったと,このように言うべきだったのです。というのも,今日の立法者は,それぞれの人がなにかの必要に迫られると,すぐにそのなにかを,考察につけ加えてゆきます。ある人は相続財産と女子相続人に関する事柄を,別に人は暴力行為に関する事柄を,また他の人びとは,それぞれそのように無数に異なったものを,つけ加えてゆくわけです。」(630E)

法律というのは,まず立法事実があって,必要な範囲でそれを帰納的に一般化したものでは?と自分などは思います。なのでここでの「今日の立法者」の言うことの方が,徳の全体に着目して (演繹して) 制定するというのよりは普通に感じます。
ただ,この「今日の立法者」への批判は,全体の利益にならないことがある,ということを問題視しているのかもしれません。確かに本当に必要なものが必要だと分かるタイミングというのは,または必要だと分かってもそれが立法されるタイミングというのは,必ずどこかで平等ではなくなるはずです (同じくらい重要な複数の立法が必要であっても,同時並行で立法できるわけではないので,必ずタイムラグができ,その「タイムラグ×立法されないゆえの不利益」が生じる)。それで,たまたま必要だと迫られたものだけが立法の対象になるのは,最善ではないという気もします。
尤も,仮にそうだとしても,「徳の全体に着目して制定」するのがよいのか?とも思います。

アテナイからの客人「彼らの交わりのいっさいにおいて,彼らの味わう苦痛や快楽や欲望を,またあらゆる情念 (エロース) のうちでも激しい情念をよく観察監視し,法律そのものを手段として,咎むべきを咎め,たたえるべきをたたえなければならない。また,怒りや恐怖,不運ゆえに魂に生じる動揺,幸運にめぐまれてその動揺からまぬかれるさま,さらに病気や戦争や貧乏のために―またはその反対の状況のために―人びとの味わうさまざまな感情,それらすべての場合において,立法者は,人それぞれの精神状態の美しいもの美しくないものを定義し,教示しなくてはならない。」(632A)

情念,感情について,法律で規定されて「よく観察監視」されるっていうのは,今の感覚からするとちょっと信じがたいことのように思います。その結果として現実に何か損害を起こしたりすれば,動機も問われるのだろうと思いますが。
精神状態の美しいもの美しくないもの,というもの自体はあると私も思います。がそれも,決まりを作ってそう仕向けられた時点で美しくなくなる,という気もします。続きます。

アテナイからの客人「つぎに立法者は,市民たちの蓄財と消費がどんな仕かたで行なわれているかを,監視しなくてはなりません。また,市民のすべてがお互いの間で,自発的あるいは強制的に行なう集会や解散について,彼らがそのそれぞれを,お互い同士どんなふうに行なっているか,またどういう場合に正不正が保たれたり欠けたりしているか,そうしたことをも,よく観察しなくてはならない。」(632B)

こちらもひどい監視社会です。今から見るとかなり自由が少ないと感じます。これが見識の持主であるアテナイからの客人の理想なのでしょうか。
現代の,権利とか自由というのが,電気や水のようなもので,今は当たり前にあるのが当時はなかったり殆ど顧みられることのないものだったのだろうと思います。かつ,これがあることが絶対的に幸福か,と言われると分からない面もあります。100年前であれば,また違う感想でしょうか。

アテナイからの客人「わたしの見るところ,もう一度出発点から出直し,わたしたちがやり始めたときのように,まず勇気を養う制度のことを,くわしく話さなくてはならないでしょうね。それにつづいて,もしお望みなら,さらに別の種類の徳を,またさらに別の種類をというように,順次に調べてゆきましょう。」(632D)

出発点から出直す,というのはプラトン対話篇ではお馴染みの光景です。その後の展開が予告されます。

アテナイからの客人「ところでその勇気ですが,さあ,わたしたちはこれをどう定義したものでしょうか。ただ単純に,恐怖と苦痛に対する戦いとのみ定義したものでしょうか。それともさらに,巧みにへつらう誘惑者たる欲望や快楽に対しての戦いをも含めたものでしょうか。そのへつらいこそは,謹直を旨とする人の気概すらも,蠟のように軟化させてしまうものですが。」
メギロス「わたしは後のほうだと思います。つまり,それらいっさいに対する戦いです。」(633C)

単純に「勇気」というものを考えた時には,ここで言われている前者を想定すると思いますが,それは当時も同じだったということが窺われます。欲望や快楽に対する戦いも勇気である,というのは新鮮に映りますが言われてみれば成程と思います。
ただ,それは「節制」(や「節度」) と言われるものではないのか?とも思います。ここは,アリストテレス『ニコマコス倫理学』などとも対比したいところです。

アテナイからの客人「それでは,もう一度話をもとへ戻し,あなた方お二人の国家には,快楽の方を避けずに享受してゆく制度として,どんなものがあるのか,それを話してみようではありませんか。ちょうど苦痛の場合に,これを避けず,むしろ苦痛の真只中に人を連れこみ,強制したり,あるいは名誉を手段に説得したりしながら,その苦痛を征服させた制度のようにね。それと同じような制度が,快楽に関しては,いったいあなた方の法律のどこに制定されているのですか。」(634A)

いわゆる「スパルタ式」の快楽版のような制度があるのか?という感じでしょうか。これについては第1巻の後半で,意外なものが実はこれである,ということが言われます。

アテナイからの客人「あなた方のお国では,じっさい法律のことはなかなか立派に整備されていますが,なかでも最も見事な法律の一つに,こういうものがあるからです。つまり,どの法律がよいかわるいかの吟味は,どんな青年にも許さず,むしろみんなが,声を一つにし口を合わせながら,いっさいの法律は,神々が制定者である以上立派に制定されている,と言うようにさせています。そして,もし誰か別の意見をなすものがあっても,それに耳を傾ける者をそのまま許してはおきません。」(634D)

これはあまり話の本筋とは関係ない部分ですが,前述の監視の部分とのつながりで,いまから考えるととんでもなく自由がないな,ということが思わされる部分ではあります。

アテナイからの客人「もしわたしたちの市民が,若いときから最大の快楽に無経験であるなら,そして,快楽にのぞんだときにそれを抑制し,どんな恥ずかしい行為も意に反しては行なわないだけの訓練を受けていないなら,彼らはやがて,快楽に対処する甘さゆえに,恐怖に打ち負かされる者と同じ目にあうだろう。つまり,快楽にのぞんで抑制のできる者や快楽にかけては熟達している者たち,―ときに根っからの悪党であるが―,そういう者たちの奴隷に,しかもさきとは別のもっと恥ずかしい仕かたで奴隷になるだろう,と。」(635C)

『国家』でも似たことが言われていたと思います。「快楽に対処する甘さゆえに,恐怖に打ち負かされる」というのは (周囲も含めて経験はないですが) 薬物依存のようなものを連想します。
感染症のワクチンのようなもので,免疫を付けることが,快楽に対しても必要,という感じでしょうか?苦痛や恐怖に対しては,前に言われていたように行なわれていたようですが。

これで第1巻の半分くらいです。
前期対話篇ではないので仕方ないのですが,「法律とは何か」という追求の仕方がされているわけではないので,何がテーマなのかが漠然としたものに感じられてしまうところはあります。
これ以降はメモ(2)に。

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